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★wavebox設置してみました。絵文字とかメッセージが送れるみたいです★
衆議院議員選がありました。私は選挙権ない民なので、選挙特番をバラエティ感覚で眺めているのですが、今回は与党が過半数割れとかになったので、なかなか興味深く拝見しております。何故か立憲民主党に入れたかたが多いようで、俗に言う裏金問題みたいなのが自民党や与党への反発を強めたのだろうと思われますが、そうなるとしきりに裏金問題を取り上げていたメディアの責任がどうとか、Xなどでは言われているかたも見受けられました。前にも書いたかもですが、Xやネットで揶揄される「マスゴミ」という言い方が私はあまり好きではなく、とはいえ今回に関しては確かにメディアが果たした役割は大きかったのかもなあと感じます。とはいえ、よくよく考えれば、メディアが裏金などと沢山報じたのに影響を受けて選挙戦の結果が変動したのであれば、メディアを観ているかたと選挙に投票するかたが結構重なっているんでしょうか。だとすれば、ネットで「マスゴミさんは裏金云々とりあげるよりも選挙行こうキャンペーンしたらいいのに……」などとつぶやいている方をいくつか見かけましたが、それは結構的外れなのかもしれないです。そもそもが今の時代、テレビや新聞などの誰かが言うところの「マスゴミ」をよく観ている層、ネットを観ている層〜のなかでも、ネットメディア各種を観ていたり、SNS各種を観ていたり、YouTubeとかTikTokとかその辺を観ていたりと、あるいはメディアはあんまり観ていないでリアルの知り合いのネットワークで生きていたり生きていなかったりと、あるいは横断して色々つまんでいたり、ヒトによってかなり多種多様に分かれる訳で、たとえばXでは投票をしたと投稿するヒトが多い割に実際の投票率は少なくて、そういう感じで表面的になにかを表明するひとと受容だけするひととそれらがどのメディアをどの程度たしなんでいるかあとは実際に行動を起こすかとの相関関係って、誰かが真面目に調べたら面白い結果になるのかもなあなどと選挙速報Vtuberさん(旅野そらさんという方です。候補者ネタとかが気楽に聞けて楽しいです)のLIVE見逃し配信を聞きながらぼんやり思っておりました。ではでは、また。
先日のつづきめいた話です。体重をおとすために、日々やったりさぼったりしていることを書き出して、後日検討するための資料とします。糖質は少なめにとる、例えばご飯とか。間食はひかえめにする。飲み物は糖分の少ない、あるいはないものを選ぶ、たとえば缶コーヒーならブラックを。よくかんで食べる。野菜などから先に食べる。夜はなるべく間食をしない。食べるときに姿勢を意識する(姿勢良く食べると消化に良いとテレビで観ました)。おさんぽをする。大股で歩く。早足気味に歩く(最近ゆっくりめなので)。前足はかかとを先につけて、後ろ足はつまさきを最後に離す。運動のまえに準備運動、ストレッチとかスクワットをする。スクワットはスロースクワットをする(ゆっくり行う)。お手洗いで用を足した後、スクワットを10回する(休日のとき)。外で信号を待つときなど、お腹を意識的にひっこめる、お尻を締める。立つとき座るとき、姿勢を正す。お腹に力を入れて、ゆっくり息を吐いたり、吸ったりする。1日三十回、お腹を膨らませてしぼませて運動をする(腹筋?)。太ももを上げ下げ運動をする。お風呂で入浴中やお風呂上がりに足のマッサージをする。リンパの流れを意識してかるくさする。エスカレーターやエレベーターは避けて階段を使う。ではでは、また。
なかなか体重が落ちません。まあダイエットらしいダイエットもやっていないので、毎日体重計に乗って一喜一憂します。お酒やラーメンやごちそうを食べた翌日は確実に増加しているので、因果関係は見いだせる気がしますが、そこから落とすのはなかなかなのです。仕方がないので、少しだけダイエットらしきことを始めてみるかと決めて、三食おやつなど、何を食べたか手帳に書き出すことにしました。レコーディングダイエットとでも言うのでしょうか、書くことで食べちゃったなあということが意識されるので、前にやっていたときはそこそこ効果があった気がします。それと、記憶力が弱いので、ふつうにしていても昨日何食べたかとか忘れているし、脳トレにもなりそうです。今時はレコー以下略も脳トレも言わないことばのようにも思いますが、そこはそれ、続けていって経過観察しますので、乞うご期待です。ではでは、また。
先日泉鏡花さんの「夜行巡査」を読んで、場面転換のところが分からないと書きました。今日はふと思い出して、「夜行巡査」を再読しようと思い、半分くらい読みました。注釈がついているので、前回は半分くらいしか見なかった注釈も丁寧に読んで、ゆっくりゆっくり味わってみると、前回悩んだ場面転換の部分がようやく分かった気がしました。ただ、その前の、冒頭の部分も、前回はふんわり読んでいたので気がついていなかったのですが、冒頭で男ふたりが会話しているのですが、物語としてはその会話の前に、巡査が男のうちのひとりの車夫の老人に叱責した、という出来事があったらしく、それを見かけた男のうちのもうひとりの職人風の若者が車夫の老人に声をかける、物語はそこから始まっているということがうすらぼんやりと分かってきました。最初は若者が車夫の老人と会話をして、叱責をした巡査の悪態をつきながらふたりはどこかへ歩いて行くのですが、次の場面ではその巡査が歩いているシーンになります。物語としては時系列に進んでいるのですが、初読の時はそれが分かっていなかったので、分かっただけで今日は収穫だなって思いました。とはいえ、まだ続きが残っているし、ここまで読んだのも読み違いとかあるかもしれません。読んでみて何かあればまたつづきを書くかもしれません。ではでは、また。
waveboxなるものを設置してみました。絵文字とかメッセージが送れるらしく、人様に送ったことはあるものの、よく分かっていないのですが、どうやら登録しているとメッセージのやりとりも出来るのでしょうか。やっぱりよく分かっていません。おそらく反応はないかと思いますが、反応したい方がもしおられましたらどうぞ。ただし内容について当サイトで言及する可能性がありますし、しない可能性もあります。
ところで人様とお話をしたり人様のお話を聞いていたりすると、色々な宗教……といいますか、考え方があるのだなあとしみじみします。百人いれば百人の世界の見え方や考え方があるのだと思われるというか、意外と自分とまったく同じ考え方というのはお目にかかれないようにも感じます。自分が正しいのに周りは間違っているとか、逆に周りが正しくて自分は間違っているとか、そもそもの正と正ではないものの定義などについて語る気はありませんが、そうなるとどこに話を合わせると会話が成立するものなのか不思議に感じたりもします。会話といいますが、それぞれの主義主張を言い合うようなことって、実際の会話ではまれなような気がしていて、Aはaだという話があるとして、Aはaだねと返事をするか、いやAはBだと思うという自分の気持ちや主張を伝えるか、またCとdもあるよと明後日の方向に話をそらせるか、どれでも構わないのですが、おそらくはそういう内容ではなくて大抵はいちばん最初のAはaだね以外の返答は話者は求めていないのかもしれないなあと思うことがあり、それはそれでいいとしても、どうしてAがaだという結論になったのかは大抵の場合語られないというか、でも話すひとが変わるとAはbとなったりするのが面白いなあと思っています。そうなる過程としては、たとえば話者の方が信頼している甲の人がAはaだと話していたのでその受け売りだとか、話者が属するコミュニティでは当然のようにAはaになっているので「当たり前で再確認は不要なものとして」「Aはaである」が出てきたのか、それに対してAはbであると思う側も、確固たる根拠があるわけでもなく、ただAはaというのは違うんじゃないかとそれよりもAはbであるほうがそれっぽいからとか、科学的な今までの事象の積み重ねとしてAはaよりbの方がもっともらしいという気がする(それらしい出来事をいくつか目にしたり耳にしたりしているなど)とかあるいは当然のこととしてAはbであるとか、結局のところどちらもご自身の観たもの触れたもの信じたものそれらしいものから導き出されたなにがしかの一時的回答としてのaだったりbだったりするのだろうと思います。ただそれは、時と場合によってaだったりbだったりするものかもしれず、まったくどちらも違っていてxがほんとうだったり、あとあとの調査の結果まったく想定していなかった見方が提示されてしまう可能性だってある、aやらbやらもそれらしく本人たちは考えているけれど、ずる賢い人たちによって造られた偽物の回答かもしれない、ただ本人たちにはそれらは今の時点では分からないものかもしれません。相対的に今ある知識と経験と色んな考えられる見方の範囲のなかで、複数人が証言しているあるいは起こった出来事のなかから、それらしくまともそうな意見が多いもののなかから総合的に判断して出した答えでも、合っているかどうかというのはいつ答え合わせが出来るのかは、若干未知数なところがあります。だからといって、答えを探さずに目の前のものに飛びついてしまうのも危険かなあと思うので、時々立ち止まってあちこち見回すようにはしています、これは私個人の話です。ではでは、また。
いつもだいたいそうなのですが、イベント直後のやる気モードがいつの間にか日々の小忙しいのに終われてしまい、怠惰な提督生活を過ごしていた先週末、気がつけばハロウィン期間限定のあれこれプチイベントが始まっていました。イベントといっても、期間限定の任務をまったりやってはカボチャを集めて、集めたカボチャを何かのアイテムと交換したり、運改修という普段は結構手間のかかる改修がカボチャでやりやすくなるのでそれに使ったりするものです。先日のFGOの件もあったものですから、始まったばかりの先週はあまり任務をこなせずに、今週に入ってから少しずつ進めています。運が上がると艦娘さんたちの活躍機会も増えますので、出来る範囲内で頑張っていきたいです。あと、前イベントでの反省もふまえて、通常のデイリー装備改修とかも忘れずにやっていけたらと思います。ではでは、また。
なんとか頑張りまして、先日から進めていた期間限定のイベントストーリー奏章3が終わりました。物語スキップしているのでまるで分かりませんが、またちゃんと他の話やなにやら進めてからアーカイブで読めたら読もうと思います。このイベントストーリーを終えるとサーヴァントがひとり召喚というか来てくれるのですが、これまた期間限定で? フレンドポイント召喚での該当サーヴァントさんのピップアップをやっていますので、少し回してみましたが、まったく出る気配はなさそうな感じです。フレンドポイント召喚で出るらしいというアヴェンジャーもいない我が基地なので、基地って言い方は今どういうのかよく分かっていないので適当に言っていますが、まあ礼装片付けついでに期間内ぽちぽち回してみようと思います。ではでは、また。
実は最近FGOさんを強化しています。今月頭に少し書いていたのですが、今期間限定のイベント? をやっていて、話は読む時間がとれないので、戦闘だけ進めていたのですが、そのあとで出てきた奏章3というイベント? ストーリー? が、どうやら期間限定で、10月中にやらないといけないらしいと知って、奏章は1も2もまだやっていないのですが、とりあえず後で物語だけでも読めるようにと、戦闘だけまた進めています。今3分の2くらい終わりました。普段の遊び方に加えてより多く遊んでいるため、時間配分が難しくて、今週はあまりこちらの日記の更新が出来なかったのには、そういう事情もあります。今のペースだとなんとかぎりぎり10月中に終われそうですが、艦これさんのハロウィン期間限定のあれこれも始まったので、油断していると終わらないと思いますので、気を抜かずにこつこつ戦っていこうと思います。ではでは、また。
SNSやネットメディアでよく「いいね」ボタンみたいなのを見かけます。気軽に押したり、押されたり、ここで押す押されるというのはクリックだったりタップだったりするのですが、その辺を細かく書くときりがないのでざっくばらんに「押す」「押される」という表現にしています閑話休題、ともかく押したり押されたりするわけですが、それも込みかもしくは別としても、リアルで他の人と話をしていると、自分がした話に同意されたり同意されなかったり、逆に相手の話に同意したり同意しなかったり、というのはよくある話かと思います。相手との関係性だったりそのあとの話を円滑に進めるためだったり、いろいろさまざまな事情が絡むと、本当は自分は同意していなくても相手の話に同意したふりを装うことがあります。なかには装わないひともおられると思いますが、少なくとも私個人においては装うことがあったりなかったりします。今日ふと思ったのが、自分がそうであるせいもあるかも分かりませんが、自分が話したことで相手が同意した場合も同じことが言えるのだろうなあと思いました。実際相手によっては、これ絶対相手は話を合わせるために形だけ同意しているやつだなと、同意している相手を眺めながら感じてしまうこともあります。実際感じたのは私ですが、その同意の真偽に関してすぐに直接相手に確認することは、少なくとも私はないというか、その瞬間はぼんやりしているので、そのまま話が終わったあとで多分そうじゃないかなあと反芻することがほとんどです。それ自体そういうものだと思っていて、いいも悪いもない気はするのですが、だからでしょうか、私自身は相手に同意してもらうかどうかということはあまり気にしていないのかもしれません。だって、同意してもらってもそれは社交辞令のみせかけの同意かもしれないですし、それと本当の同意に区別がつこうとつかなかろうと、私自身の思いとか語ったことが変わる訳ではないからです。まあ中には変わる方もおられるだろうし、同意してもらうこと至上主義とか同意が望ましいと思うひともおられるでしょうから、それはそれとして、自分はそうだったな、と思うわけです。私は場合はSNSのいいねボタン的なものはまた違う運用方法なのですけれど、それもヒトによって違うものなんだろうなあとぼんやりと空を見上げたりしました。あと、自分がそういう性質のせいか、相手の話をリアルで聞いたあとに同意することは、どうしても必要性を感じておらず同意というか相槌を忘れてしまうことがあります。これは社会交流的によくないくせだなあと自覚していますので、これからは思い出したら儀礼的に相槌をうっていこうと思いました。ではでは、また。
昨日書いたことのつづき的な話ですが、読みかけの泉鏡花さんを少し読みました。「夜行巡査」という作品で、明治28年4月に発表された小篇だそうです。とある巡査の一晩のお話だと思います。思います、と書いたのには理由があって、久しぶりにこういう作品を読むせいなのか、書かれたのが明治28年(西暦1895年)と今から129年ほど前の作品のせいなのか、自分自身ちゃんと文章の意味を図りかねているところが多々あるからです。この手前に読んだ同じ泉鏡花さんの「義血侠血」という作品でもそうだったのですが、彼彼女のことを「渠」と表現しているところとか、私個人には慣れない感じの言葉が多くて、ひとつひとつ理解して読み進めることが困難なままなんとなく文章を辿っている感じの読書になっています。「夜行巡査」に関してもそうで、いくつかのシーンが描かれているのですが、場面転換したときの、これはその前の話の続きなのか、ここで語られているものが別のところではどう語られているのかなど、内容が咀嚼出来ていないところが多く、読解力がないのを露呈するかたちにはなっているのですが、アウトラインだけなんとなくつかんだ気になって、でも間違えている可能性もあるなあと思っているうちに話が終わってしまいました。変に勘違いした解釈をするよりは、「よく分からなかった」としてしまう方が読者としてはましなのか、いやそうでもなくある程度の物語を読めたような気もするのですが、ここで答え合わせはせずに、また間をおいてから読み直してみようかと思いました。元々夏目漱石さんの『吾輩は猫である』が好きなので、泉鏡花さんの文体は、それをもう少し難しくしたような気はするものの、割と好きな表現方法ではあるので、なんとか読めていけるといいなあと思っています。ではでは、また。
前のクールに録っていたアニメをまだ観終わってないことに先程気がつきました。作品名は重要ではないので割愛しますが、最近どうにも、というか、以前からかもですが、物語を長時間じっくり眺めることがやりにくい気がします。映画館に行くと否応なしにそれしか視界に入らないので、そこそこ楽しめるのですが(昔は映画館に行くと眠っていましたが最近は割と起きていることが多いです。成長しました)、テレビとか録画とか配信はもうさっぱり駄目駄目です。もともと例えば週一放送のアニメとするならば、決まった曜日の決まった時間にテレビの前にいられないので、録画をする訳なのですが、テレビは前にあるのに録画を観ようという行動になかなかうつせません。というかテレビ復活したのにあんまり観ていないかも(テレビ復活云々のはなしは昨年後半くらいに書いたような気がします。気が向けば探してこの辺にリンクをはろうと思います。覚書です)。それと似た事象かもしれないなと思うのが、ゲームのストーリーを追えるとき、追えないときがあるという出来事です。年なのかもしれませんが物語を咀嚼する能力が落ちているかもしれないです。本なども沢山あるのでたまにページをめくるのですが、先日本屋さんで泉鏡花さんの文庫を見かけて読んだことないなあと買って読み始め、一作目は面白くて程なく読み終えたのですが、二作目以降(その本は短編集です)が数ページで止まっています。これらも理由は同じ気がします。結局のところ、テレビをつける、録画機器を立ち上げて再生を選択する、ゲームを起動する、本を開く、という行動を起こすための行動を起こしていないことによるのでしょう。だらだら書いている時間があるなら行動起こせばいいのにと今思いましたので、この後更新したら、どれかひとつはやってみようと思います。ではでは、また。
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