のこされたことばのかけら

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2024年10月20日 日曜日 フレンドポイント召喚

 なんとか頑張りまして、先日から進めていた期間限定のイベントストーリー奏章3が終わりました。物語スキップしているのでまるで分かりませんが、またちゃんと他の話やなにやら進めてからアーカイブで読めたら読もうと思います。このイベントストーリーを終えるとサーヴァントがひとり召喚というか来てくれるのですが、これまた期間限定で? フレンドポイント召喚での該当サーヴァントさんのピップアップをやっていますので、少し回してみましたが、まったく出る気配はなさそうな感じです。フレンドポイント召喚で出るらしいというアヴェンジャーもいない我が基地なので、基地って言い方は今どういうのかよく分かっていないので適当に言っていますが、まあ礼装片付けついでに期間内ぽちぽち回してみようと思います。ではでは、また。

2024年10月19日 土曜日 FGO日記:奏章3

 実は最近FGOさんを強化しています。今月頭に少し書いていたのですが、今期間限定のイベント? をやっていて、話は読む時間がとれないので、戦闘だけ進めていたのですが、そのあとで出てきた奏章3というイベント? ストーリー? が、どうやら期間限定で、10月中にやらないといけないらしいと知って、奏章は1も2もまだやっていないのですが、とりあえず後で物語だけでも読めるようにと、戦闘だけまた進めています。今3分の2くらい終わりました。普段の遊び方に加えてより多く遊んでいるため、時間配分が難しくて、今週はあまりこちらの日記の更新が出来なかったのには、そういう事情もあります。今のペースだとなんとかぎりぎり10月中に終われそうですが、艦これさんのハロウィン期間限定のあれこれも始まったので、油断していると終わらないと思いますので、気を抜かずにこつこつ戦っていこうと思います。ではでは、また。

2024年10月14日 月曜日 同意すること同意されること

 SNSやネットメディアでよく「いいね」ボタンみたいなのを見かけます。気軽に押したり、押されたり、ここで押す押されるというのはクリックだったりタップだったりするのですが、その辺を細かく書くときりがないのでざっくばらんに「押す」「押される」という表現にしています閑話休題、ともかく押したり押されたりするわけですが、それも込みかもしくは別としても、リアルで他の人と話をしていると、自分がした話に同意されたり同意されなかったり、逆に相手の話に同意したり同意しなかったり、というのはよくある話かと思います。相手との関係性だったりそのあとの話を円滑に進めるためだったり、いろいろさまざまな事情が絡むと、本当は自分は同意していなくても相手の話に同意したふりを装うことがあります。なかには装わないひともおられると思いますが、少なくとも私個人においては装うことがあったりなかったりします。今日ふと思ったのが、自分がそうであるせいもあるかも分かりませんが、自分が話したことで相手が同意した場合も同じことが言えるのだろうなあと思いました。実際相手によっては、これ絶対相手は話を合わせるために形だけ同意しているやつだなと、同意している相手を眺めながら感じてしまうこともあります。実際感じたのは私ですが、その同意の真偽に関してすぐに直接相手に確認することは、少なくとも私はないというか、その瞬間はぼんやりしているので、そのまま話が終わったあとで多分そうじゃないかなあと反芻することがほとんどです。それ自体そういうものだと思っていて、いいも悪いもない気はするのですが、だからでしょうか、私自身は相手に同意してもらうかどうかということはあまり気にしていないのかもしれません。だって、同意してもらってもそれは社交辞令のみせかけの同意かもしれないですし、それと本当の同意に区別がつこうとつかなかろうと、私自身の思いとか語ったことが変わる訳ではないからです。まあ中には変わる方もおられるだろうし、同意してもらうこと至上主義とか同意が望ましいと思うひともおられるでしょうから、それはそれとして、自分はそうだったな、と思うわけです。私は場合はSNSのいいねボタン的なものはまた違う運用方法なのですけれど、それもヒトによって違うものなんだろうなあとぼんやりと空を見上げたりしました。あと、自分がそういう性質のせいか、相手の話をリアルで聞いたあとに同意することは、どうしても必要性を感じておらず同意というか相槌を忘れてしまうことがあります。これは社会交流的によくないくせだなあと自覚していますので、これからは思い出したら儀礼的に相槌をうっていこうと思いました。ではでは、また。

2024年10月12日 土曜日 泉鏡花「夜行巡査」を読む

 昨日書いたことのつづき的な話ですが、読みかけの泉鏡花さんを少し読みました。「夜行巡査」という作品で、明治28年4月に発表された小篇だそうです。とある巡査の一晩のお話だと思います。思います、と書いたのには理由があって、久しぶりにこういう作品を読むせいなのか、書かれたのが明治28年(西暦1895年)と今から129年ほど前の作品のせいなのか、自分自身ちゃんと文章の意味を図りかねているところが多々あるからです。この手前に読んだ同じ泉鏡花さんの「義血侠血」という作品でもそうだったのですが、彼彼女のことを「渠」と表現しているところとか、私個人には慣れない感じの言葉が多くて、ひとつひとつ理解して読み進めることが困難なままなんとなく文章を辿っている感じの読書になっています。「夜行巡査」に関してもそうで、いくつかのシーンが描かれているのですが、場面転換したときの、これはその前の話の続きなのか、ここで語られているものが別のところではどう語られているのかなど、内容が咀嚼出来ていないところが多く、読解力がないのを露呈するかたちにはなっているのですが、アウトラインだけなんとなくつかんだ気になって、でも間違えている可能性もあるなあと思っているうちに話が終わってしまいました。変に勘違いした解釈をするよりは、「よく分からなかった」としてしまう方が読者としてはましなのか、いやそうでもなくある程度の物語を読めたような気もするのですが、ここで答え合わせはせずに、また間をおいてから読み直してみようかと思いました。元々夏目漱石さんの『吾輩は猫である』が好きなので、泉鏡花さんの文体は、それをもう少し難しくしたような気はするものの、割と好きな表現方法ではあるので、なんとか読めていけるといいなあと思っています。ではでは、また。

2024年10月11日 金曜日 録画と物語と

 前のクールに録っていたアニメをまだ観終わってないことに先程気がつきました。作品名は重要ではないので割愛しますが、最近どうにも、というか、以前からかもですが、物語を長時間じっくり眺めることがやりにくい気がします。映画館に行くと否応なしにそれしか視界に入らないので、そこそこ楽しめるのですが(昔は映画館に行くと眠っていましたが最近は割と起きていることが多いです。成長しました)、テレビとか録画とか配信はもうさっぱり駄目駄目です。もともと例えば週一放送のアニメとするならば、決まった曜日の決まった時間にテレビの前にいられないので、録画をする訳なのですが、テレビは前にあるのに録画を観ようという行動になかなかうつせません。というかテレビ復活したのにあんまり観ていないかも(テレビ復活云々のはなしは昨年後半くらいに書いたような気がします。気が向けば探してこの辺にリンクをはろうと思います。覚書です)。それと似た事象かもしれないなと思うのが、ゲームのストーリーを追えるとき、追えないときがあるという出来事です。年なのかもしれませんが物語を咀嚼する能力が落ちているかもしれないです。本なども沢山あるのでたまにページをめくるのですが、先日本屋さんで泉鏡花さんの文庫を見かけて読んだことないなあと買って読み始め、一作目は面白くて程なく読み終えたのですが、二作目以降(その本は短編集です)が数ページで止まっています。これらも理由は同じ気がします。結局のところ、テレビをつける、録画機器を立ち上げて再生を選択する、ゲームを起動する、本を開く、という行動を起こすための行動を起こしていないことによるのでしょう。だらだら書いている時間があるなら行動起こせばいいのにと今思いましたので、この後更新したら、どれかひとつはやってみようと思います。ではでは、また。

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