だらだら日記があるサイトです。たまに何かが変わります。
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おしごともプライベートもなにかしら忙しいです。プライベートは主に万博関連で、それが終わったら落ち着くのかもしれません。いやまあ色々積んでいるのでそれを順番にやっていこうと思います。おしごとはあまり書けませんが色々積み重なってしゅん、となっています。これもひとつずつやっていくしかありませんが、おしごとの机が散らかっているので片付けようと思ってちょこちょこ整理しています。目に見えて片付くとしごともはかどる気がします。ではでは、また。
前に書いたかも分からないのですが、食事は車で言うガソリン補充のようなものだと思っています。口の中である程度細かくなるまで咀嚼して、喉を通りそうだなというところで嚥下する。味覚として美味しいまずいはあるにせよ、たとえ味がしなくてもガソリンという動力源なのでそう割り切れば多少美味しくなくても食欲がわかなくても食べることは出来ます。実際昔に少しだけ味覚障害というか、何を食べても砂みたいな感じがしていた時期があったのですが、まあ砂をもぐもぐするのも悪くないかもと食べておりました。という話を他人にすると、若干微妙な反応が返ってくる気がします。もちろん普段はこういう味が好きとか美味しいまずいとか感じるのですけれど、究極それを食べる必要があるならばどんなものでも食べることは出来るので、好き嫌いはそこでは意味をなさないというくらいの意味合いです。ただ人様の話を聞いていると、存外好き嫌いとか食わず嫌い的な、身体が受け付けないのとは違う「気持ちとして食べたくない」という判断が、ニンゲンにとっては重要なのかもしれないと思う日々です。話は変わりますが、直近テレビのメディアなどをにぎわせている、マンションのオートロックを入るときに一緒に入られてエレベーターなり自宅に入り込まれてどうのこうの、というのを見ていると、そうか尾行って巻きにくいものなのかなと思ったりします。自意識過剰なところはある可能性はありますが、今までに私自身尾行されたり後をつけられたり逃げようとしたら殴られたりというくらいの出来事は何度か遭遇したことがあります。それをレアケースととらえるか、はたまたよくあることか、と感じる感じないは別として、実際殴られたあとのたんこぶは一週間くらい腫れている訳で、自分自身としては否応なしに尾行などには敏感になることは否めません。逆にストーカー的な事をする気持ちというかしてしまう行動論理も分かるところはあって、それは話が変わりますのでここでは割愛しますが、ともあれ人は尾行したり尾行されたりするものだろうと思っています。なので、まずオートロックの扉の中が安全かどうか以前の問題として、オートロックの扉も開いている間に入られる危険性は考えておく必要があるということと、そのようにして自分が入った後に誰かが入った際の立ち居振る舞い方法などは、昨今のご時世では想像しておいたほうがいいかと思う今日この頃です。またさらにそれ以前の問題として、オートロックの扉に近寄らせない、そもそもが尾行をまくことができれば願ったり叶ったりな気もします。尾行はなんとなく気をつけていれば気がついたりすることが多いのが体験談ですが、そうでないひとはまず尾行されていないかみたいな軽い意識を周りに向けてみたり、無駄に尾行してみたり、そういう当事者になってみることで(あくまでテストなので短時間をおすすめします。一歩間違えたら自分が犯罪者になってしまうからです)分かるかもしれない何か空気感を味わうところから始めるか、それは極端すぎるというならば、ひとまず移動をするときはスマホやイヤホンで音楽を聴くなどは最低限にして、周りを見ながら歩くみたいなことならばまだ普通っぽいかもしれません。それで、自分の前か後ろに同じ向きやそうでない向き(というのは、必ずしも尾行は自分の後ろにいるとは限らず、追い抜いてまた戻ってくるというケースがあります。これは実体験としてありました)にいる人を観察したり、同じ人がずっといないかを分かるようになれば、次は自分がその人と逆の向きに動いてみる、あるいは自分がふいに止まったり、何かを思い出した風に来た道を戻ったりして、相手がそれに対してどう反応するかを確認してみましょう。同じように立ち止まったりするといかにも怪しいですが、そういう分かりやすい人ばかりとも限りません。今の世の中はふいに道ばたで立ち止まってもスマホを見るという言い訳がきくので、自分が思う存分不審な行動をとるというのは、自分の見た目があやしくなりますが、尾行を防いだり尾行に気がつくようになるには有用な方法のひとつです。もしも本当に尾行されてそう、と思える出来事があったときは、なるべくひとりになってしまいそうな場所は避けつつ、頑張って相手を翻弄しましょう。タグとかつけられないように気をつけつつ(そういうのは尾行とはまた違うスキルっぽいですのでこれまたそのうちに)、うまく煙に巻いてしまえるとちょっとやったったという達成感を味わえます。仮に勘違いだったとしても、何もなかったということはひとつの成果と思って、そういうシミュレーションをしたと思えればあなたも立派な厨二病です。ではでは、また。
先日大阪・関西万博にて、万博協会さんのテーマにそったメインのパビリオンであるところのシグネチャーパビリオンのひとつである「Dalogue Theater いのちのあかし」というパビリオンを体験してきました。その名の通り、劇場型の部屋でそれは行われるのですが、参加者のひとりが選ばれて、その人がはじめて出遭う誰かとひとつのテーマを元に対話をする、というのが体験の内容でして、私は対話する人には選ばれなかったので、はじめて出遭う二人の対話に立ち会うものとして体験をしました。選ばれたその人は、たまたまなのか何か作為がはたらいていたのかは分かりませんが、対話することについて少し詳しい感じのかただったので、なかなか興味深い内容だったのですが、ふと振り返ると、イベントとしてだけではなく、私の日常や非日常のなかには対話が色々あるなあと思いました。こないだお仕事で別の部署の人と話す機会があって、その人とはそれまでも業務のやりとりをしていたのですが、少し長めに話をし合うと、こちらが丁寧めに伝えたつもりであったことが相手に伝わっていなかったことが判明して興味深かったです。対話とは言いますが。実は多くの場合、私などがしているのは、何かを伝えようとことばや表情や言語を表現〜面と向かって話したり、メールをしたり、電話をしたりといった行動をしているのですけれど、それが確かに相手に伝わっているということを確認するすべは、実はないのかもしれないということが分かった気がします。相手が分かっていなくても「分かりました」という反応をすることはあるし、その逆もあるし、私も分かったつもりでいて分かっていないこともあるのだろうと思います。伝えたことばの正しさやわかりやすさには関係なく、相手に伝わったかどうかという確認作業は何か考えたほうがいいのかなとも思えたので、それは有意義な時間ではありました。自分以外の誰かと誰かの対話を見ることも、有意義な時間と思います。傍から見ると食い違っていても、ふたりが納得してしまうこともあるし、逆に同じ内容を言っているのに食い違っている反応をお互いが返すことも、他のさまざまなことがあり、なかなかに難しいものだなと思います。私は特に対話は個人と個人間ではあまり得意とは思っていない方なので、その辺は工夫していきたいなと思いました。ではでは、また。
提督業若干サボり気味です。とほほ。限定マンスリーをやっつけないと、と思っていて、多分あと二戦くらいやらないとなのです。これ書き終わったら行きたいです。多分そろそろ遅めの夏イベントですよね? イベント始まってから本気出すいつものパターンかもしれません。ではでは、また。
先日とあるイベントでとある商品を買いまして、それがとても良いものだったので、また欲しいなと思ったものの、商品の製造元など書かれてあったパッケージを紛失もしくは廃棄してしまっていました。イベントに出店していたところなので、イベントのWebサイトに情報が載っていないかと思い、SNSをされていたので問い合わせたところ、先日お返事をいただき、無事に製造元と通販サイトにたどり着くことが出来ました。インターネットがなかった頃ならばこういう探し方は出来なかったんだろうなと思います。まあ今はあるのでパッケージもよく見ずに捨てても平気だったということもあるかもです。そういえば少し前だと包装紙や箱やパッケージを後生大事に持っている方が多かったかもしれません。これは妄想に近いので個人差があるか気のせいの可能性もありますが、そういう感じで手がかりを残しておかないと後々困ったというのはあったのだろうと思います。かと思えば、今はSNSで世界や立場や価値観が大分違っていて通常なら出遭うことのないような人にも簡単に出遭えてしまいます。それはいいことでもあるし悪いというか遭わなければよかったこともあり得るだろうと思います。だから以前にも増して取捨選択は大事だろうなと思いました。ではでは、また。
単にものが片付いていなくてPCがつけられなかったか忙しかったかしただけでした。ではでは、また。