この時期になると今年を振り返ろうかなという気になってきます。それで思い出して、昨年の日記(このサイトのことです)を読み返したのですが、こちらにはその年を振り返ろうとかそういう類いのことは書いていなかったです。Xとかでつぶやいた記憶とごっちゃになっている様子です。昨年の春ごろにお部屋を片付けて、その後テーブルが使えるようになり、10月にPCを買って、ちょくちょく更新が再開しはじめた、といっても、毎日っぽく書いているのはかなり後半で、なおかつ12月は何も書いていないです。我ながら気まぐれすぎます。でも確か12月色々体調とか悪かったような気もします。まあそういうこともあります。
そういうわけで、毎年恒例の、というのも既に嘘八百ですが、気持ち的には恒例の買ってよかったものを振り返ろうかと思います。ひとつめとしては、青竹踏みがあります。リンク先は今年の7月の日記ですが、実は買ったのは大分前で、使い始めたのが今年なので、まあどこかには今年でも売っているだろうということで今年良かったと思うランキングに入れました。青竹踏み本当おすすめです。今年の前半の具合が悪かったやつ、だいたいこれで3分の2くらい治りました。毎日決まったタイミングでふみふみするだけなので、そのタイミングさえうまく自分でセッティングできればそこのあなたもより健康になれます。正直一回10〜20ふみふみしかしていませんが、確実にやらないよりも効果ある気がします。仮に効果がなかったとしても、1日1回ふみふみするという習慣が得られたなら、なにか他のことも習慣化できるチャンスがあるというものです。自分がどうすればやる気になるかの試金石にもなりえます。何の話かよく分かりませんが、私にとってはそれだけとっかかりとしては優秀だったということです。他にも今年買った始めた再開した(範囲広いな)なにか良いものがあれば、紹介していきたいと思いますが、これだけで終わってしまうかもしれません。結果は一ヶ月もあれば分かるでしょう、ではでは、また。
11/19に読んだ「外科医」を再読しました。前回よく分からなかった場面転換、私の読み方が足りておりませんで、場面転換後九年前、とあったので最初の場面が九年前で次の場面が現在なのかと思い込んでいたのですが、そうではなくて、現在が最初の場面で、次の場面が九年前のシーンのようです。そら分からなくても無理はない。思い込み怖いです。適当に読んでいるとこういうことが多い気がします。読解力が欲しいものです。とはいえ、時系列を把握して読んでも、肝心の内容にちょっと分からない部分があって、多分そういうことなんだろうなあとは思うものの確信が持てません。後半にある作品解説もそこまではふれられていないようですが、これはまあここで何度読んでいても変わらなさそうなので、とりあえず分からない部分は放置して、次の話に進もうと思いました。すべてを理解する必要はないと承知しています。ではでは、また。
なんだか書き損ねていますが、やっています秋刀魚漁。今のところ65尾集めました。74尾くらいが目標だったと思うので、あと少しですが、段々とドロップが渋くなってきたので、あと一週間くらいですから、気を抜かずにやりたいところです。今のところ、6-5、3-3、7-4、1-5とか1-1によく出向いていますが、7-4に行くはずがよく6-4に行ってしまいすごすごと帰ってくることが多めです。3-5も任務で行っていたのですが、周回にはそういえば入れてなかったです。今も出るのかな。他が枯れてきたら考えようと思います。ではでは、また。
先日電車にのっておでかけをしました。普段は通勤に公共交通機関を使わないので、用事があるときか、休日にしか電車に乗らない生活をしています。昔は通学も通勤も電車を使っていたのですが、最近はそうでもないので、たまに使うとあちこち眺めては楽しむことができます。新型コロナが流行り始めた数年前からこのかた、電車に乗って思うのは、広告の種類が随分と変わったなあということです。私がいちばん多く電車に乗っていたころは、多種多様な広告がありました。それは、まだ世の中にスマートフォンが普及していなかった時期なので、電車に乗った人は新聞とか雑誌とか手持ちの本とかを読むか、あるいはそこまでの時間乗らない人は、窓の外の風景を眺めるか、あるいは電車の中の吊り広告を始めとする広告をぼんやり眺めていたからです。スマートフォンが普及してから、おそらくは広告の見られる頻度が減ったのもあり、広告の種類も段々と変わってきて、それは都心に建つ予定のタワーマンションだったり、ベストセラー書籍の広告だったり、その時々で儲かってそうな、あるいは一儲けしていきたい系のものなどが増えてきました。そして、新型コロナが流行る前後、そもそも広告の価値も下がってきたのと利用者が減ってしまったのも相まって、一時は電車の広告が、その電鉄会社に関連した企業の広告が大半を占めたり、そもそも広告欄が埋まらずにただの壁になっていたりもしました。私は電車に乗っていてもそこまでスマホを見ないので、なんとなく寂しい気持ちを感じていたのですが、先日乗った電車では、そこそこ広告の種類が増えてきたように感じました。なにかのイベントの告知とか、新しい施設やお店の紹介とか、それらを眺めていて、やっぱりにぎわいがある方がいいなあとしみじみしましたです。ではでは、また。
昨日は腕の具合がめちゃくちゃ悪くて更新をおやすみしました。今月はこのまま終わってしまいそうな印象です。原因があるようでないようで今のところどうしようもないので、だましだましやすみやすみ書いていこうと思います。たいしたことは書いていないので、その辺は書かなくても何の支障もないのがいいところではあります。
もうすぐメギド72さんが7周年を迎えますので、うまれてはじめてファンアートでも描いてみようかと、おえかきアプリをなるべく毎日起動させて、おえかき以下の線を引く練習などをしています。スマホの画面だとやはり小さくて描きづらい気がするので、iPadが欲しいなと思うのですが、なかなか買う決心はまだついていないところ、ビックカメラさんとソフマップさんの福袋もとい福箱の抽選予約がネットでスタートしたとしり、これまたうまれてたぶんはじめて福袋もとい福箱の抽選予約に参加してみました。おまけではないですがPS5の抽選もあったので計三つ参加です。全部当選してしまうと出費がえらいことになりますが、それはそれであてもあるのでひとつくらい当たるといいなあと思っていますが、多分全部はずれると予測して、それはそれとして、7周年にはそれらは間に合いませんので、どうしようかなと考えながらおえかきアプリを起動するとします。ではでは、また。
私はそうなのですが、賢いようでいて馬鹿でもあります。大学までは行きましたが、途中で落ちこぼれたので6年くらい在籍してぎりぎりお情けで卒業できたみたいな感じです。それでも愚かなので、ヒトを見下してしまったり、馬鹿にしたり、ということは残念ながらやってしまいます。上から目線で見られて喜ぶ性癖のかたは別として、そういう素行がよく働くはずもなく、まあやっちまったものは仕方ないものの、やらかしに都度反省しつつ今日もぽんやり生きております。最近ですが、馬鹿にするような事柄、あるいは、馬鹿にされるような事柄というのは、案外大事な要素が入っているのではないかと思うようになりました。どこかで書いたような気もするのですが、たとえばの話、日本では英語を学ぶ時に、ネイティブっぽい流ちょうな発音をすると小馬鹿にされたりしたりしがちなところがあるように思います。これは世代や地域差があるのかもしれませんが、私が身近に感じたであろうたとえ話として聞いていただければいいのですが、そういう小馬鹿にする、というのは、本当は小馬鹿にするほうが愚かなのではないかと思われます。発音は正しいにこしたことはないからです。本当は大事な要素である発音の良さを、馬鹿にすることで、自分は劣ってはいないのだと慰めているのか、その辺の他にもあるかもしれない心理状況の分析はさておくとして、そういう感じで、馬鹿にすることがある、馬鹿にされることがある場合、その対象は案外というか見方を変えれば、自分が気がついていない良い部分を内包していて、それに自分が気がついていない、あるいは気がついてはいるけれど、そのことで自分が愚かだと分かったりおとしめられるのが嫌で見ないふりをする、結局のところその要素は大切ななにかかもしれないです。他のたとえとして、自分が出来た事柄が相手には出来なかったとして、こんなことも出来ないのか、と馬鹿にすることは容易というか簡単ではありますが、どうして相手のかたは出来ないのか、相手には自分が気がついていない別の要素や選択肢が見えていて、それが惑わせる元なのかもしれませんし、自分がたやすく出来ているというなにかが実はかなりレアケースなのかもしれません。ヒトは呼吸を無意識にしていますが、身体が弱ったときなどは、呼吸のひといきひといきが大変だったりもします。そういう感じで、馬鹿にする対象があるということは、自分が気がついていないあるいは見えないふりをしているだいじな何かが隠れているのだろうなと思います。そうすると何の気なしにすごしていた事柄も、お宝の山みたいになってくるので不思議だなあと思います。それは裏を返せば、自分が馬鹿にされたとしても、相手はその大事なポイントを気がついていないのだなあと自分を慰めたりするのに使えたりします。またどうして馬鹿にしてくるのか考えたりするのも興味深い気がします。ではでは、また。
引き続き読み進めています。「外科室」は主人公が画家で、友人? の外科医に頼み込んで手術の様子を見学するというシーンから始まります。そのあと怒濤の展開のあと、また謎の場面転換(私にとっては、ですので、読解力のなさと受け止めていただければと思います)があって、唐突に話が終わる印象です。どうも泉鏡花さんの場面転換が私にはすっと納得しかねる読み心地というか、咀嚼するのに時間がかかるようなので、もう一度読んでみようと思います。ではでは、また。
ヒトだからでしょうか、兎角生きているとなんやかんや思ったり感じたりします。何かをやろうとしてできなくて悔しくなったり、逆に出来て嬉しかったり、人様のことを見て羨ましくなったり、嫉妬したり、見下したり、尊敬したり、あきれたり、他に色々あるかもです。思ってしまったり感じてしまうのはまあそういうものなのですが、それが仕事となりますと、時にその感情というか気持ちが仕事の邪魔になったり、あるいは手助けになったりします。例えば何かが出来なくて悔しかったら、それを出来るようになるように奮起して考えたり、あるいは諦めたりすると結局出来なかったり、プラスにもマイナスにもなるのですが、プラスはまあいいとして、マイナスに働くような場合、私生活はどちらでもいいんですが、仕事になるとマイナスはあまりよろしくないので、そういうときは思ったり感じたりはあるものの、一旦それを棚上げというか放置して私は機械! みたいなつもりで動くだけに徹したりします。それはその方が都合がいいからですが、そうもいかないときもあるので、うじうじしたりもします。でもうじうじって退屈なので、放置して違うことを考えたり考えなくて行動だけしたりするのが好きかもです。ではでは、また。
かなり今更ですが、自分は文章や本を読む能力が低いなあと思いました。元々漫画も吹き出し部分を読んでいったり、ラノベも会話部分だけ読んだりしがちだったのですが、こないだとある説明書を読みながらとある作業をしていると、なかなかうまくいかず、おかしいなあと説明書を見直してみると大事な手順をとばしてしまっていたりという、ざっくり言うと順番に読んでいく能力が欠けている自覚が芽生えました。芽生えるの遅すぎな気もします。けれども気がついたこと自体は評価しておこうと思いました。読み飛ばしてしまうということを無意識にやってしまうのであれば、意識して順番に読もうという気持ちを出すことができます。そうすると読み飛ばさずに読んでいける可能性が高まります。気がつかずに読み飛ばしてしまって後で痛い目を見るよりは、正確性があがるのではないでしょうか。それでは、また。
最近髪質があれなのか元からなのか、髪の毛がうねうねくるくるになります。まっすぐ伸びてくれないみたいな感じの表現です。だいたい寝癖もあって、はねたまま寝るとうねうねになるので、まっすぐになるように枕に押し当てて眠るようにはするのですが、油断していると右にはね、右が整ったかと思えば今度は左にはねます。この2、3日はねまくりだったのを反省して、昨夜は綺麗にドライヤーをあてて夜もしっかりはねないように眠り今朝はまあまあじゃない? という出来映えで出かけたのですが、日中に外出したときに雨に降られてしまい、傘を持っていなくてしっとりと濡れた結果、右も左もうねうねはねはねになってしまいました。半日もたなくてめっちゃ悔しいです。ではでは、また。
今月は腕の具合が悪めです。原因を考えてみましたが、普段さぼりがちなペーパークラフトをちょっと頑張ったことと、主に腕のストレッチをさぼりがちだったことのふたつを思いついたので、とりあえず毎日少しずつストレッチを頑張ってみたところ、あとペーパークラフトはちょっとお休みしてみたところ、どっちが効いたのかあるいは別の要因がからんでいるのかは分かりませんが、少しずつましになってきました。そうこうしているうちに月の半分が終わってしまってがっかりもしています。ところでストレッチですが、色んな資料を見ていると、基本1回分15秒くらいはやったほうが効果がありそうです。習慣づけるために10数える間とか自己流で短縮していたのですが、そろそろ真面目にやるかと、最近は15秒数えてやるようにしています。15秒というと、短いテレビCMがちょうどそのくらいの長さで、タイミングが合えば、テレビを観ながらストレッチをするのが具合が良い感じがします。でもテレビを観ている時になかなか思い出せないのが玉に瑕です。呼吸というのは、ストレッチは筋や筋膜? を伸ばすものだと思うのですが、呼吸をしながらんんんっっと伸ばすのが効果的っぽいものの、初心者のうちは呼吸をとめてしまいがちなので、覚書のつもりでタイトルにしました。ではでは、また。
昨夜から今日の午前中くらいにかけて、何か考えていたことがありまして、頭のなかでまとまるような、まとまらないような気持ちを、帰宅したら日記(ここ)にでも書こうとその時は思っていたのですが、いざ帰宅してみるときれいさっぱり忘れてしまいました。当サイトは名付けた当初、今後(というか実際ここの前身であるサイトは消えてしまっているのですが)このサイトが見られなくなったり消え失せてしまっても、なにかしらのことばのかけらでも、誰か見てくださったかたの心や脳やどこかに残っていくといいなあくらいの気持ちで名前をつけたのだと思うのですが、実際残るというか書き残す前にもたくさんたくさん消えてしまいます。多分ちっとも残りゃしません。そういうものでしょうと思います。最近ちまたで生成AIの生成元の盗用が話題ではあるのですが、私個人はAIにそこまで希望も絶望も抱いておりませんで、その仕組みは気になるものの、仮に盗用されたとしても、ないものを生み出すことはAIさんには出来ないんじゃないかなあと思うので、たとえばですけれど、とても好きだったけれど今はもういらっしゃらない方の思い出とかが、全然関係ないAIさんのなかに残っていて、ふとした拍子にそれが分かって、その方のことが思い出せるなら、それはそれで素敵な再会にもなるのかもしれないなどとポエムなことを考えておりました。まあ人様の得物で商売はよろしくないとは思います。ではでは、また。
前回 前々回 のつづきです。大変間があきましたが、前回一冊の本を読み終えるまでに一年くらいかかりましたので、今回は短編とはいえ早かったです。いや短編なのでやっぱり遅いでしょうか。なんとか何度も読み込んで、やっとこさ内容を理解したような気がします。前回読んだ「義血侠血」もそうでしたが、泉鏡花さんは男女の間の悲劇的な恋愛模様を描くのがお好きなのでしょうか。この「夜行巡査」に関しては、職務に生真面目に忠実な巡査さんが最後まで生真面目すぎるだろうというくらいに行動していて頭を抱えてしまいましたが、その直前に出てきた老人もどえらく非道な方でぞわぞわしました。場面転換の部分がよく分からなかったので読み直していた訳ですが、結局のところ多少の視点移動があるだけで、時系列に話が進んでいるのだろうなと感じた次第です。合っているかどうかは作者ではないので分かりません。ともかく分からないまま他の作品を読むよりは、分からないと思っていた部分が分かったような気になれたので、ひとまずよしとして、次の小篇を明日から読んでいこうと思います。今年中に読み終えられるよう努めます。ではでは、また。
来年大阪で万博があります。先日そのチケットをとある方からいただきました。ありがとうございました。まあここは多分見ていないと思われるのですが、一応虚空に向かってお礼は言っておきます(本人にはちゃんと伝え済みですので、それはそれで蛇足です)。ところで実は、私個人は既にチケットを何枚か購入済みでした。詳しい名前は記憶していませんが、通期パスと、早く買うとお安くなる1日券を何枚かです。それならばチケットは貰わなくても十分なのではないかという気もいたしますが、そこをいただいたのには事情があるというか、実は買った後で気がついたのですが、通年パスには色々と制限があるのです。まず、入場が11時以降という指定があります。それは購入時に気がついていたのですが、もう一つ、会期が終わりに近づく10月の初旬までしか使えないというのを、後々になって知りました。まあ購入時には書いていたと思うので、自分の見落としではあるのですが、昔に別の博覧会で通期パスを購入した時には、時間帯や時期の指定はなかったと思うので、少し残念に思いました。ところでいただいたり他に買ってある1日券は、その辺の時間帯指定がないので、朝から行きたい時にはいいかなあと思ったのでありがたくいただいたという次第です。他にも会場内はキャッシュレス決済のみとか、チケット購入や日時予約、パビリオンの予約に万博IDというネットを使ったサービスへの登録が必要だったり、電子チケットだとスマートフォンが必須? だったりするのは、なんとなく敷居を高くしている要因が多くてどうなのかなあと思っています。個人的には万博は悪くないイベントだと思っているので、盛り上げていきたい気持ちもあるのですが、その辺のちょっと人を選ぶアクセスの悪さみたいなもの、まあ予約とかは最近の風潮もあるし便利なところもあるけれど、本当にそこ人を選ぶ必要があったのかなあというところは疑問に思います、という話でした。ではでは、また。
生存確認でタグ打ち始めたので、正直書くことが思いつきません。タイトルは、いつの間にかリップクリームが必要な季節になったねえというくらいのつぶやきです。寒い時期はリップクリームを塗りますが暖かくなると塗るのを忘れるくらいには唇のかわきが気にならなくなるという話でもあります。そのくらいの運用なので一本買っても一年以上もちます。もう少し減らしたいので、今年は夏でも思い出したら塗るようにはしていましたが、あまり減っている印象もなかったです。話が変わりますが、『境界線上のホライゾン』という小説があります。最近急に思い立って、持っていなかったつづきの巻の購入を再開しました。具体的には9巻上下と10巻上を買いました。前に読んでいたのですが、登場人物が多くて把握しきれないのと、自分の脳みそが弱いのか読んでいてもおはなしがよく分からなくなってきたので途中で止まっていたのでした。買ってみると数年前に再版? したみたいで、まだ流通はしているようなので、いつ読めるかは分かりませんが、あるうちに残りの巻を買っておこうかと思ったのです。予算の都合もあるので、今月はこのあたりで打ち止めなのですが、毎月とか思い出した時にまたつづきを買ってみようかと思います。実はそういう途中の巻で止まっている漫画とか、CDとか、小説作品とか、少なからずあると思うのですが、本棚の片付けついでに、少しずつでも、買いそろえて読んだり聞いたり観たりしたいものです。ではでは、また。
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