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第2回 新聞と電話と泥棒(2001年5月号/2001.04.16)

 続きが載るかどうか危ぶまれていた第2回ですが、無事に載ってました。いや、よかったよかった。
 分量は適当に換算して原稿用紙で30枚弱。前回の半分くらいになりました。このまま減っていくと…と恐ろしい想像は思考停止。
 第一部(承前)となっています。時は不連続に、数日後9月13日月曜日の新聞の記事より話は再開されます。曜日が出てきましたのでいそいそと年代を特定しましょう。1999年ですね。決定。でざっとおさらい。

1978年             川島伊作「母子像I〜IX」発表。江知佳生まれる(推定)。
1982年             「サングラス事件」。以降川島伊作は石膏直取りの手法を封印。
1990年 2月           綸太郎、容子と再会(『再び赤い悪夢』)。
1995年             スレンダーガールズ解散。容子結婚。
                  川島敦志、左眼の網膜剥離の手術を受ける(推定)。
1999年春            川島伊作、胃がんの手術。
1999年 9月 9日午後     綸太郎、銀座のギャラリーの個展(田代周平・9月5日〜9日)にて川島敦志、江知佳と会う。
1999年 9月10日午前4時  川島伊作、他界。享年54歳。
1999年 9月13日       「毎朝新聞」夕刊文化面に宇佐見彰甚署名記事。【第2回での現在】
1999年 9月15日午後1時  葬儀・告別式(予定)。

 こうやって年表作りをちょっとでも楽にしようという魂胆です。
 今回は綸太郎、新聞読んだり電話かけたり受けたりと実は動きが全然ないです。なんかこのまま一年くらい続いたらそれはそれで嫌だなぁ(嬉しいような気もするけど。二律背反)。

 人物紹介ですが、前回も名前が出てきていたけど、ふれなかった人について。
 宇佐見彰甚:美術評論家。今回冒頭の新聞記事も書いている。11月に予定している名古屋の美術館での川島伊作回顧展は、宇佐見が企画を立ち上げたもの。伊作の胃がんの手術を担当した執刀医も彼の紹介だそうです。
 国友レイカ:川島伊作の秘書もといアシスタント。伊作が倒れたのを電話で江知佳たちに連絡した。伊作が再婚を考えていた相手でもある。伊作は余命いくばくもないことを彼女だけにはほのめかしていたらしい。江知佳は彼女に対してちょっと複雑な思いを抱いているよう。
 律子:江知佳さんの母親。「母子像」シリーズのモデル。江知佳が小学校に上がる前に伊作と離婚、単身でアメリカへ。向こうで親しくなった歯医者(日本人)と結婚ののち、二年くらいで帰国。ただし江知佳には無関心らしい。密葬にも来なかった。でも伊作は亡くなる前、うわごとで律子の名前を呼んでいたらしい。
 いずれも名前だけの登場ですが、なんだか気になる人たちです。

 そして川島敦志からの電話で、伊作がアトリエで倒れた後、江知佳がモデルになり完成されたという石膏像の、頭にあたる部分が誰かによって持ち去られていることが判明。これは気になる続き方です。いよいよ事件か。とても気になるけど、ここで続いてしまうので、またじりじり待つ訳です。南無三。

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