エヌ氏調査報告書蛇足の王様メニュー密閉教室考

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 『密閉教室』は1988年10月に講談社ノベルスから刊行された、法月綸太郎のデビュー作である。
 舞台は湖山北高校。早朝登校した女子生徒梶川笙子と担任教師大神龍彦が自分たちの教室で発見したのは、クラスメイト中町圭介の死体だった。ガムテープの目張りで閉ざされていた扉の向こうには、彼の死体以外、なぜかあるはずの四十八組の机と椅子が消えうせていた。残されていた遺書はゼロックス・コピー。
 謎にいどむ主人公「僕」はハードボイルドやミステリが好きな同級生、工藤順也。物語はほぼ、彼の一人称で進んでいく。ハードボイルド小説の主人公のように、気取ってみたりはするものの、やはりどこか青臭さはいなめない。ミステリ好きなだけあって、机と椅子の消失の謎をといたりする辺りは、いかにも名探偵のような頭のキレもある。また、ひそかに好意をいだいているらしい吉沢信子には弱く、しどろもどろになってみたり、逆にわざと突き放したような口調になったり。
 担任教師であり、新聞部での顧問でもある大神との確執。介入してきた警察の代表、森警部との秘密協定。暴力団とつながりのある同級生、犬塚との対決。さまざまな人間模様が順也を中心に回り、次第に真相が明らかになる、そう思われた。
 しかし、物語の最後で名探偵工藤は突然その地位から引き摺り下ろされるのだ。
 事実は吉沢信子のセリフに集約されている。

「あなたには結局この事件の核心が見えていなかった。ロジックの遊戯にうつつを抜かしていただけで、殺された中町君のことなんて本当は眼中にもなかったのよ。
(略)あなたは今日の事件で自分こそ主役みたいなつもりでいるんでしょうね。それが馬鹿だというのよ。あなたは最初から最後まで舞台の縁をうろつくだけの脇役にすぎなかった。狂言回しの道化なのよ。(略)道化は何ひとつ学ぶことはないわ。ただ傍観するだけ――」

 ここで指摘された名探偵の存在の空虚さは、のちに法月氏が『頼子のために』以降で提示した後期クイーン論的問題にも通ずるものがある。作家法月氏自身の転機となったとされるこの作品については、実際は『頼子のために』の原型である作品が、氏の在学時代の1986年にすでに書かれており、順番としてはそちらの方が『密閉教室』よりも先になる。
 在学中に執筆、ミステリ研の機関紙『蒼鴉城』に発表された「頼子のために」では、登場人物名の違い(林太郎、など)やライターの冨樫などが出てこないものの、おおむねストーリーは変わっていない。ラスト近くで広瀬(西村)氏が林太郎(綸太郎)に窓を開けてくれるように頼むシーンもある。このシーンは、それまで傍観者として事件を解決する存在であるはずの探偵が、事件に深くかかわってしまったことを印象づけた。
 だから、上記であげた言葉は『頼子〜』の原型で描かれた、探偵の事件への関わり方についてもふまえられていると見ることもできる。しかし、それは今回の趣旨とははずれるので、またの機会に。
 『密閉教室』に話を戻すと、名探偵工藤は「頼子〜」に見られるほど深く事件にまきこまれた印象は見られない。ただ、「頭が切れる人」である工藤は結局は事件の表層に振り回され、文字通り「道化」としての役割しかないように見える。物語が、ここで終わっていたならば。
 しかし実際には、このあと読者はさらにその「どんでん返し」からも突き放されるのだ。それが、今回語ろうとしている「コーダ」である。
 真相を(――この際、それが「本当の」真相であるか否かは問題にならない。たとえば彼と彼女たちの言葉にない新たな真相が隠されているとしても、それは二人にとって今は問題ではなく、その時点で話された事が「事実」として認識されているからだ――閑話休題)伝えたあと、去っていった吉沢を、工藤が後を追うという形で、本編は幕を閉じる。ここで終わっていたならば、それは普通にクセのある本格ミステリとして、認識されていたかもしれないが、そのあとページが変わり、次のような文章が記される。

  コーダ
   〜あとがきにかえて〜

 拝啓。
 春一番も吹いたというのに、また雪が降りました。
 二月二十七日に寮を出たのですが、掃除が残っていたために、三月十二日(月)に帰寮したところ、丁度手紙が届きました。
 理解しようと努力はしましたが、結局わけがわかりませんでした。
 ただ私は貴方のことを同窓生の一人としか考えていません。
 素っ気のない文章になりましたが、もう書くべきこともないように思われるので、これで失礼します。

かしこ  

 ここで読者はいきなり突き放される。そこには説明もなにもなく、ノベルス版では島田荘司氏による「薦」が、文庫版では新保博久氏による解説が挿入されて終わる。
 作者はそれまでまがりなりにも小説を書いてきたことを、ここでいきなり放棄したようにもとれる。
 実際どういう意図があってこの「コーダ」が入れられたのか、本当のところは作者にしか分からないし、著書として発表された以上、判断は読者の手にゆだねられる。
 では、これはどう読み解いていけばいいのだろうか。

 私の知人であるyou-氏が先に自らのサイトで発表した「試論(私論)『コーダはこうだ(笑)』」において、ひとつの考察を試みている。you-氏は以下のような点に注目した。

 1.これは手紙である(=差出人、受取人がいる筈)。
 2.(手紙の文中の)手紙は三月十二日に届いた。
 3. 差出人は女性。
 4.「寮」とはどこの寮のことか。

 そして4.については、 文庫版324頁の森警部のセリフ「だが君たちは明日から大変だろう。県の教育委員会が乗り出してくるらしいが、受験を控えて災難だな」 より、順也たちは県立高校在学中の受験生であり、仮に手紙の受取人が順也であり、差出人が吉沢信子だとしたら、寮は進学先の大学の寮ではないかと推測する、そしてそれはこの事件と「コーダ」の手紙の間が4年も空いてしまい、不自然だと指摘する。
 you-氏は上記の論文に一度補修を加え、さらに今後もう一度補修をするつもりがあるらしいので、詳しくは氏のサイトで確認していただきたい。
 you-氏の着目した上記4点については、1から3については異論はない。4、については、you-氏は論の中では述べていないが、県立高校には寮がないからこの寮は高校のものではありえない、という考えが念頭にある。これについて、本当にそう断言してしまっていいのか、正直な話私には分からないが、通常公立高校は学区制を採用しているから、一般的に寮のない公立高校が大多数であり「寮はない」とみなしてもいいのではないだろうか。

 ここでもう一度、「コーダ」自体について見ていこう。
 タイトルの「コーダ」とは、広辞苑第五版(岩波書店)によると

コーダ〔coda・イタリア〕 楽曲や楽章の終わり、また曲中の大きな段落をしめくくる部分。終結部。結尾部。

 とある。文字通り読み取るならば、小説としての終わりの部分にあたるところ、といった感じだろうか。通常のあとがきよりは、本編に関わりが深いような印象を与える。
 次にある言葉が「あとがきにかえて」だ。これにまず着目したい。
 あとがき、というのは通常本の著者が著書の最後に自分で作品について語ったり、補足をしたり、近況を述べたりするところである。著者以外の人物が書いたものは通常「解説」や「解題」または「推薦文」など、また海外の作品では訳者による「訳者あとがき」などもあるが、どれも共通して言えることは、「あとがき」以外のものは、その作品を書いた作者の手を離れたところで存在している、ということだ。逆に言うなら、「あとがきにかえて」とある以上、この一連の文章は作者の思惑のうちにあるものである、ということである。この文章の体裁上、手紙の差出人が作者法月氏本人であるとは考えがたい。だからこの手紙は、『密閉教室』中の登場人物が受け取ったか、あるいは法月氏本人が受け取ったもの、このどちらかと考えて差し支えないと思う。ここで受取人が読者である可能性は、手紙の文中で受取人が差出人に一度手紙を出している事実から、容易に除外することができる。
 そして、「コーダ」という言葉と結びつけて考えれば、たとえ差出人、受取人が誰であっても、『密閉教室』の小説の終結部分として作者が意図していれたものである、と考えられる。

 次に、日付の問題である。
 私が一番気になったのは、ここで「三月十二日(月)」という明確な日付と曜日が提示されていることだった。
 この『密閉教室』本編中は、特に日付の記述は見当たらない。前日と、事件の起きた日がともに授業のあるべき日だから、いずれかが日曜日ではないことがかろうじて分かる程度である。
 だから逆に、ここを読んだとき、強烈な違和感に襲われた。ここで、日付と曜日を明記することに、何か意味はあるのか。日付は、おそらく寮という言葉ともからめて、季節感を出したかったのだろうという一応の説明はつくが、曜日については、あえて書かなければいけない必然性は、一見ないようにも思える。
 では、なぜ曜日を明記したのか。
 両方の可能性が考えられる。この記述が無意識になされたものか、あるいは意識的になされたものか。
 無意識になされたものだとすると、単に曜日には意味がなく、なんとなく書かれたものなのか。あるいは、曜日には意味があるが、そこを意識せずについ、書いてしまったのか。後者だとすると、実際に三月十二日月曜日に手紙が届いたという事実があるのかもしれない。
 意識的に書かれたのだとしたら、どうなるか。手紙の内容の都合上、曜日を書く必要性があったのだろうか。この手紙の文面を読む限りでは、それは考えられない。では、曜日を書くことによって、何が明らかになるか。
 まず、実際に月曜日に手紙が届いたという事実があったのではないか、ということ。これは無意識で書かれた場合の後者の説と一致する。
 また、そのように、これが実際にあったことだと読者に考えられるように(作者が)仕向けた、という可能性もある。その場合、実際にあったかどうかに関係なく、曜日を明確にすることによってまるで実在する時間にその(手紙が届いたという)出来事があったのだ、と思わせることが出来る。
 つまり、意味がなく、なんとなく書いてしまった場合を除くと、曜日が書かれているということは、この手紙が届いたという「事実」が現実にあったのだ、と作者が読者に伝えていることになる。

 では、もしそうならば、具体的に、それはいつのことだったのか。日付と曜日が分かっていることから、カレンダーを調べれば年代を限定することができる。
 万年カレンダー(註)と呼ばれるもので、三月十二日が月曜日である年を調べてみたところ、1979年、1984年、1990年、2001年などが該当した。『密閉教室』の発表された年は1988年であることから、この手紙が書かれたのは、発表された年より以前で、比較的発表年に近い1979年か、1984年である可能性が高い。

 次に、寮に関する記述を見ていこう。
 「二月二十七日に寮を出たのですが、掃除が残っていたために、三月十二日(月)に帰寮したところ、丁度手紙が届きました。」
 寮についてだが、どこの寮なのかを考えてみる。先ほども言及したが、公立高校は特殊な学科のあるところ以外は大体が学区制であり、住んでいるところで入学できる高校が限られることから、まず公立高校には(遠方から来た学生のための)寮は存在しないと考えても良さそうである。
 すると、自然と高校を卒業してからのちに寮に入ったことになる。you-氏は4年制大学と仮定していたが、もちろんそれ以外の可能性だってある。短大に寮がないとは言い切れないし、大学でなくとも、ある種の専門学校や、就職先の会社、またアルバイトでも工場などは山間部などにあり寮などをもうけ住み込みで働く、といったこともありうるだろう。この手紙の文面からは、どういった種類の寮かまでは限定はできないが、文面を見ると会社の寮よりは、大学などの学校系の寮を卒業のため出たが、「掃除が残っていたため」一旦帰寮した、と考える方が妥当だろう。

 「理解しようと努力はしましたが、結局わけがわかりませんでした。
 ただ私は貴方のことを同窓生の一人としか考えていません。」

 煩雑になってきたので、仮に「コーダ」の手紙の差出人をA、受取人をBとする。
 Aが三月十二日に帰寮すると、手紙が届いていた。おそらくはBから来た手紙である。Aはそれを読み、内容を理解しようとしたが、「結局わけがわかりませんでした」。AはBのことを同窓生の一人としか考えていない。そしてAはそれを手紙に書き、Bに送った。それが「コーダ」の内容である。
 ここから分かるのは、BがAに出した手紙は、(Aにとっては)訳のわからない内容だったけれど、おそらくBがAに対してなんらかの特別な思いを抱いていることが読み取れるような内容のものだったのだろう。Aはそれをかろうじて察知したが、Bが抱いているような思いはBの一方的なもので、AにとってはBは「同窓生」の一人でしかない。そう伝えた。

 さて、いよいよ肝心の問題、AとBは誰なのか、を考えていく。
 まず、確かなのは、Aは手紙の末尾を「かしこ」で終わらせている。素直に考えればAは女性である。
 次に、BがAに特別な思いを抱いていたわけだから、これも素直に考えるなら、BはAが好きだった、とも考えられそうだ。そしてAとBは同窓生である。
 そこですぐに思いつくのが、you-氏も指摘した、A=吉沢信子、B=工藤順也の図式である。
 you-氏はこの説について以下のように書いている。

「コーダ」は、工藤が吉沢に自分の気持ちを伝えた手紙に対する返事であり、吉沢はその手紙を読んですぐに返事を書いたようだ。そうなれば、工藤が吉沢に手紙を出すまでに4年間(吉沢が4年制大学に入学していたとしてだが)の空白がある。4年間、同一の人を思い続けるということ自体には問題なはい。しかし、中町の死の真相を解決していく上で工藤の思いは吉沢にばれていたのだから4年という時間をあける必要はないように思う。

 ここで、B(工藤)がA(吉沢)にあてた最初の手紙が問題とされている。もし工藤が吉沢への思いをつづった手紙を送ったのなら、なぜ事件のあった高校時代ではなく、卒業から数年後(you-氏は仮に4年後、としている)に送ったのか。本編を読む限りでは、吉沢は確かに、工藤の気持ちに気がついている筈である。ならば、仮に工藤があのあと告白できずに数年が経ち、あらためて吉沢に告白ともとれる手紙を送ったところで、吉沢は「何を今更」と思いこそすれ、「わけがわかりませんでした」と返事をするのは、どこかおかしい。
 やはりこの考え方には無理がある。この考え方とはつまり、工藤が吉沢への思いをつづった手紙を送った、というところだ。わけがわからなかった、と返事をしているのだから、最初に送られた手紙(BからAに送られた手紙)は素直な告白文ではないはずである。
 そこで、もう一つの考え方が浮上する。最初の手紙が、素直な告白文でないとしたら。たとえば、小説という形をとっていたとしたら。
 この考え方に、飛躍を感じる人がいるかもしれない。しかし、何よりもこの「コーダ」は、小説『密閉教室』の巻末部、コーダもしくはあとがきとして存在しているのだ。実は、本編全部が、「コーダ」においてBがAに送った手紙の中身だとしたら、と考えることには矛盾がないと思う。
 では、そうなると、どのようになるのか。工藤(B)は卒業してから何年かのちに、吉沢(A)に手紙を送る。手紙の中身は小説で、それは「わけのわからない」ものだけれど、工藤が吉沢を好きだ、という気持ちだけは伝わった。
 しかし、そこでもまだ、矛盾は生じている。なぜなら、小説に書かれているのが実際に起きた事件であるなら、それは吉沢にとっては(先ほどの告白の手紙の場合と同様)自明のことであり、「わけがわからない」と思うことはない筈だ。
 では、あくまで手紙中の「わけがわからない」とあるのが事実ならば、逆にその前にある小説の部分には、吉沢にとっては自明ではない事柄がかいてあったとしか思えない。つまり、小説『密閉教室』に書いてあることは、「コーダ」の手紙中の吉沢にとっては身に覚えのないことだったのだと考えられる。
 本当は、工藤と吉沢は、高校時代に『密閉教室』で描かれているような事件には遭遇していないのだ。あるいは、すべてが嘘だとは言えないまでも、少なくとも工藤が吉沢に恋心を抱いていることに吉沢が気づいていると匂わせる部分の記述は、実際にはなかったことなのではないだろうか。
 そう考えることで、ある程度は説明がつく。小説『密閉教室』は高校を卒業した工藤が何年かの後に書いて、吉沢に送ったものだと。その内容は、彼らの高校時代をモチーフにした、しかし純然たるフィクションで、しかし少なくとも工藤と吉沢にあたるキャラクターの描写は、本人たちが読めば当人とわかるものなのだろう。そのフィクションのなかでは工藤が吉沢に思いを寄せている。そして工藤は小説の中の事件を解決はできずに、ただ傍観するだけ――。
 小説本体としてはミステリの形式をとっているけれど、これはある意味工藤自身のほろ苦い青春の思い出なのだ。おそらく実際の工藤の高校生活は、吉沢と言葉をかわすことがあっても、それは小説の中のようなものではなく、「ただ傍観するだけ」で終わってしまったのではないか。それを数年経ったあと、何故小説として書いて吉沢に送ったのか、それは謎のままだが…。
 ところでそれでもまだ、説明のつかない事実がある。他ならぬ、曜日の問題だ。
 はじめの方で私は、「コーダ」文中で曜日が記載されてることにふれ、「意味がなく、なんとなく書いてしまった場合を除くと、曜日が書かれているということは、この手紙が届いたという「事実」が現実にあったのだ、と作者が読者に伝えていることになる」と結論づけた。
 ここで、曜日に意味があったと仮定すると、また様相は変わってくる。
 手紙が届いたという事実がある。これは、すなわち、この手紙を受け取った人物Bは、実在する人物、それはほかならぬ作者である、という仮説ができる。
 以下は実は、上記のA=吉沢、B=工藤の論とあまり、変わらない。ただ、B=作者(法月氏)はわかるが、Aが誰であるかは、ここでは分からない。それは法月氏自身の個人的な問題であるだろうし、ともかくAという人物が実在する、ということで話を進める。
 BはAに高校時代、特別な感情を抱いていた。そしてBは大学に入り、ミステリ小説を書いた。モチーフは、自分の高校生時代。ひそかに思いを寄せていたAの仮のキャラクターである吉沢信子と、自分を投影したキャラクター工藤順也を登場させて。そして実際にAに出来上がった小説を送ったのだ。そしてそれを読んだAがBに書いた返事が、すなわち「コーダ」であると。
 あるいは、作者がそういう事実があったのだ、と読者に提示したのだ。
 ますます荒唐無稽になっていく感があるが、傍証をいくつか、あげておく。
 第一に、曜日のことから推察される、手紙の書かれた年代だが、1979年か、1984年と先ほど書いたが、法月氏は1964年生まれだから、1979年では氏は15歳であり高校生にもなっていないから除外され、1984年だと確定する。
 そして、『密閉教室』の原型である「ア・デイ・イン・ザ・スクールライフ」は実は、乱歩賞に応募するまえの段階として京大ミステリ研の「通信」に2回に分けて発表されており、それが1984年4月〜6月のことなのだ。 この情報は甲影会が発行した同人誌『別冊CHARADE Vol.5 法月綸太郎特集』において法月氏本人がまとめた「法月林太郎著作リスト」にあり、信憑性は高いものと思われる。
 それに付随するが、「コーダ」において日付と曜日が明確に定義されている反面、本編の方では特に、年代や日付、曜日が特定できるようなデータは提示されていない。そこからも、「コーダ」が現実を伝えており、逆に本編は現実ではない小説の出来事であるという証左ともとれる。
 第二に、法月氏本人と工藤順也には共通点が多い。本名の、下の名前の読みは一緒だし、ハードボイルドやクイーンが好きなところ、高校時代新聞部にいたこと、などがあげられる。
 そして第三にあげるなら、この「ア・デイ・イン・ザ・スクールライフ」が書かれたとき、後のインタビューなどで法月氏は再三、この作品で作家になるつもりはなく、「青春の思い出」として書き上げ、その後は社会人としてまっとうに働いていくつもりだった、と言っている。
 この「コーダ」が表していることは、ここにあるのではないか。真相がいずれにあるにせよ、「コーダ」として、小説を書いた人物Bと、Bの青春時代の思い出、ある意味象徴でもあるAとを登場させることにより、この作品は本格ミステリであることを投げ出して、青春の一ページとしての断片でしかなくなってしまった。いや、敢えてそこに本格ミステリをも取り込むことによって、ミステリと自分の関係に終止符を打とうとしたのではないか。だからこそ、物語の最後で探偵役の工藤はもはや、探偵ですらなくなってしまった。それは作者がはじめから、意図して剥奪した役割なのだと。
 すべてを「青春の思い出」に封じ込めようとした。それはある種、青春小説としての役割も担っている。だから、この物語は、青春小説であり、かつ本格ミステリのエッセンスも、凝縮されているのだ。

 この結論には、もう一つだけ、指摘しておかなければならないことがある。
 日付や曜日を明確にすることで、法月氏は「コーダ」の手紙が実際にあったことだと、表現した。それは必ずしも、そういう事実があったことを意味するものではない。
 最初に書き上げられた状態のものがどのような形かは今ではわからないが、少なくともこの『密閉教室』は商業的な小説として、結局は発表された。以上のように読み取れることも、作品のひとつの解釈であり、ただひとつの真実という訳ではない。読者にそのように読ませることで、これは作者の実体験を踏まえて書かれたものであるという認識をさせた。ただ、それだけである。だからAが誰か、ということはここでは問題にはならないし、本当はAすらも実在しない可能性はある。
 それでも、この『密閉教室』という作品が、最終的に青春小説としての位置付けをされたものであれ、いびつながらも良質の本格ミステリを念頭に置いて書かれたことは間違いないだろうし、以後の作品ではこのような身の削り方とは違うアプローチをしているから、やはり作家法月綸太郎の創作活動の中で、『密閉教室』が特別な位置にあることは確かだ。
 作品は世に出たときから作者の手を離れ、無数の読み手の前にさらされる。『密閉教室』を本格ミステリとして、エンターテインメントとして読んだ場合、最後に付け足された「コーダ」は、多くの場合蛇足めいた印象を与えたであろうことも確かだ。
 本論で、少なくともまったくの無駄な部分ではないということが、感じ取っていただけたなら、いいのだが。

(2001.02.14記)

補遺にいく。


万年カレンダー
  フリーウェアでいくつか公開されている。念のため以下の二種類で検証した。
  「100万年カレンダー for Windows98 Version 1.01」 長尾和信 2000 …画面が小さくて使いやすいです。
  「万年カレンダーVersion 1.01」 高松浩史 2000 …excelを利用した万年カレンダー。


参考文献

「試論(私論)『コーダはこうだ(笑)』」 2001
 you-氏によるコーダ試論。
 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/4146/index.html

『別冊CHARADE Vol.5 法月綸太郎特集』 甲影会 1995
 法月綸太郎氏本人による「法月林太郎著作リスト」、蒼鴉城に発表された「頼子のために」(原型)、ミステリ連合での座談会再録、作品紹介など、内容の充実ぶりはこのシリーズの中でも随一ではなかろうか。

『ニューウェイブ・ミステリ読本』 原書房 1997
『ミステリを書く!』 ビレッジセンター出版局 1998
 法月氏のデビュー当時のエピソードはこの2冊に詳しい。

『小説すばる 2000年11月号』 集英社 2000
 エッセイにおいて法月氏が新聞部だと知る(苦笑)。読んだときに、これで決まりだ、と思いました。

『ミステリーの愉しみ5 奇想の復活』 立風書房 1992
 法月氏の本名はこちらなどでわかる。わかったから、どうということはないので、このサイトではあえてそういう情報は出さないようにしています。

エヌ氏調査報告書蛇足の王様メニュー密閉教室考