エヌ氏調査報告書蛇足の王様メニュー年表日記

1 『ふたたび赤い悪夢』 

注:『頼子のために』のネタバレもしています。

 まずはこの作品から。なぜかというと、「生首」中に言及があるからです。
 連載第二回の新聞記事の曜日の記述より、「生首」事件は1999年と断定できます(詳しくは蛇足の王様第2回参照)。第一回の容子関連の回想の記述より、以下の事実が分かります。
  1990年 2月   綸太郎、容子と再会(『再び赤い悪夢』)。
  1995年     スレンダーガールズ解散。容子結婚。
 これを踏まえた上で、『ふたたび〜』を読み返してみましょう。
 小説は原稿が書けず悩んでいる綸太郎から始まります。Iのシーンでは2月とあります(文庫14頁。以下のページ数はすべて文庫で換算)。まる三ヶ月、綸太郎は一ページも原稿を書いていないそうです。
 去年(1989年)の9月、「半年がかりの長編を力ずくで仕上げ」(16頁)て、晩秋にテレビ用の脚本の仕事のため関西に出張します。12月に東京に戻ってきたようです。西村頼子の事件は半年前に関与したとあります(17頁)。東京に戻ってひどいスランプに落ちた綸太郎は解決作をクイーンに見出そうとしますが、『九尾の猫』のラストの解釈に釈然としない日々を過ごしたのが2ヶ月前(24頁・12月末か1月?)
 ところでラジオの番組より、有里奈のシングルの発売日が4月22日とあります(26頁)。曲名は〈瞳はスターレス〉。こんなん関係ないか? まぁ日付が出てるし、記録しておいて損はないかと(苦笑)。このラジオ番組は松沼ヒロトのパーソナリティーの、〈サタデイ・ナイト・キッズ〉と言います。ってことは土曜日なのかしら? ええと確認かくにん…1989年2月の土曜日は4、11、18、25日です。ラジオは生放送の様ですし、この中のどれかでしょうね。
 畠中有里奈のデビューは2年前(29頁)。マネージャー兼付き人の湯浅景子は三ヶ月前、〈マーキュリー企画〉に入社。そうそう、ラジオの仕事が終わったのは11時50分前くらい。
 ところで葛西さん、カッコいいですねぇ。しみじみ。
 森山塔彦氏略歴(53頁)。1960年代後半に8ミリの自主制作でスタート。本格的な劇場デビューは1976年ラフカディオ・ハーンの原作をオムニバス形式で描いた『KWAIDAN−怪談−』。そういえば森山さんて、松江市を舞台にしたノスタルジックな三部作なんかも撮られていて、ちょっと意味深ですねぇ。今の連載にも関わってくるのかしら、もしかして?
 悩む綸太郎に有里奈(中山美和子)から電話が入ったのが、その土曜日の深夜(57頁)。日付としては日曜日か。井賀沼の『月蝕荘』の事件は一昨年前。ってことは1987年。おお、段々年代がはっきりしてきました。

(2001.04.27)

 II章では『月蝕荘』の事件(『雪密室』)についての回想があります。年代出てました、1988年晩秋(64頁)。――あれ? なんか上とずれてます。おかしいなと思って見直すとちょっとした勘違い、『ふたたび』の現代は1990年でした(馬鹿)。なんか1989年とごっちゃになってたみたい。ってことは土曜日も修正しないといけないわ――1990年2月の土曜日は3、10、17、24日。やれやれ。
 有里奈ちゃんは高校生なんですね。18歳か(70頁)。1972年か、71年生まれ、かな?
 少し遡りまして、時間的なこと。有里奈から電話があったのは、深夜二時をまわったころ。「二十分でいくから」といって車をとばした綸太郎は、ほぼ時間どおりに四谷一丁目のデルタ・ミュージック近くの立ち飲みコーヒー店に着いたものと思われます。2時半くらい? 有里奈をひろって車は内堀通りをぐるりと回り、皇居外苑も通過して桜田門の警視庁庁舎の前で一旦停止(66頁)。内堀通りを一周して半蔵門の交差点だの通り靖国通りに出たところで左折、市ヶ谷で外堀を渡り、外堀通りを道なりに南下して、四谷見附の交差点で新宿通りに戻る(72頁)。ラジオ東京の辺りに戻り、そのあと法月家に向かったようです。っていうか車乗らない関西人の私にはちんぷんかんぷん。これってどれくらい時間かかるのかなぁ? うろうろするのに30分、戻るのに20分とみると戻ったのは3時半くらいかな?

(2001.04.29)

 日曜日の明け方午前4時半、法月警視が帰宅します。うーむ、働き者。貞雄パパと有里奈(中山美和子)の再会。 美和子の遭遇した事件についての記述があります(80頁)。
 昨夜6時間ほど前(土曜日午後10時)、美和子はマネージャーと一緒に四谷のラジオ東京を訪れる。オンエアは15分ほどで、11時50分にはスタジオを出る。マネージャーは電話で呼び出されたらしく、一人になった美和子の元に謎の男が現れ、ニ階の倉庫のようなところに彼女を連れ込む。もみ合ううちに気を失い、気がついたときには一人取り残されていた。動転した美和子は慌ててラジオ東京を抜け出し、いったん三軒茶屋の自分のマンションまでタクシーで向かう。しかし玄関の前に怪しい男がおり、また四谷に戻る。そして綸太郎に電話(82頁)。
 須賀町(ラジオ東京から南に100メートルいったところ)の公園でみつかった死体の110番通報は真夜中過ぎ
 綸太郎は貞雄に月蝕荘で美和子に打ち明けられた秘密を聞き出す(93頁前後)。美和子の実の両親が亡くなったのは、16年前、1972年父中山利則30歳と兄実若が亡くなったのは同年8月28日。実若は十ヶ月だったというから、双子の妹である美和子も同じ。二人を殺害したとされる母中山道代30歳が水死体で見つかったのが、約二ヶ月後の11月7日。美和子の義母が亡くなったのは、中学生のとき。 義父中山雅之は利則の三ヶ月違いの兄(義兄)。利則と道代は1965年に入籍。1971年10月、双子を出産。1972年春頃からノイローゼ気味だったとか。
 二人がうだうだしゃべっているうちに午前6時が近づいてきたようです(104頁)。

ああ、すすまない…(2001.05.02)

 104頁の続きで綸太郎が届いたばかりの朝刊に目を通している。
 日米構造協議打開のため、海部首相が来月早々に訪米予定/ニカラグアとリトアニアの選挙/モスクワの民主化要求デモ(以下省略)。この辺は確認したら、日付が割り出せそうだ。図書館か。
 と思っていたら、歌番組についての記事で、楠田枝里子の新聞記事(1990年2月25日付朝刊)が参考文献に上がっているから、事件の起きたのは1990年2月24日に断定、でいいだろう。
 117頁、パラグラフ(?)10では葛西隆サイドの話。湯浅景子から有里奈の失踪を聞いて、有里奈のマンションと実家、中山稔に電話、終わったのが午前1時40分。15分ほどあとにラジオ東京に到着。景子と会う。景子の話によると、夜間通用口を有里奈が出て行ったのは0時46分。ラジオのゲスト・コーナーが終わったのは11時45分。景子が電話で呼び出され、戻ってきたのは0時半。
 葛西はその後、原宿のマーキュリー企画に行き、留守電などを聞いて2時半過ぎごろ。中山稔にまた電話。今度は繋がる。稔の元に、誰かから電話がかかったのが午前1時40分以降。景子から電話がかかってきて、あちこちの知り合いに電話をかけまくり、宮前三郎の電話にかけてみて、午前3時半過ぎ。
 そのまま明け方にテレビをつけたりして、次に動きがあったのは午前7時過ぎ。有里奈からの電話(132頁)。
 有里奈が電話をかけたあと、法月貞雄氏はセーターを持っておでかけだ。綸太郎も有里奈のマンションの様子を見るため外出。景子と接触、逃げ出して等々力に戻ったのが9時半過ぎ(144頁)。貞雄パパから電話。綸太郎はラジオ東京に取材申し込みの電話を入れる。

そろそろ分割時かも(2001.05.03)

 III章突入。綸太郎、ラジオ東京潜入記。「その日のうちに、局内見学の許可を取りつけた」(148頁)とあるから、時間は不明だが25日には間違いない。
 ラジオ東京の歴史は眠いし省略。この安原さんの一人ゼリフの部分、実は結構好きです。さりげに動きが出ていていいです。
 ひととおり紹介が終わって、喫茶室でほっと一息(159頁)。ここで現在の時刻(午後二時半に近い)とラジオ東京についた時刻(ここに着いたのが一時前)が判明する。
 関係ないけど喫煙しない綸太郎が100円ライターを落としたと偽って探しにいって戻ってくるくだりはバレバレで笑えます。

やっぱり眠いのでやめ(2001.05.06)

 ラジオ東京を出た綸太郎は法月警視の下へ。公園での死体発見の詳細が知れる。発見は午前1時45分。被害者大杉駿一は0時27分に五体満足でラジオ東京を出るのが目撃されている。中山美和子が出たのは、0時46分(入ったのは23時7分)。綸太郎と親父が話し合っていると、来客。中山稔だ(178頁)。話をして帰った後、綸太郎は17時にラジオのパーソナリティ松沼ヒロトに会うために退出する。
 葛西サイド。湯浅景子から連絡を受けて、三軒茶屋の有里奈のマンションに行くが収穫なし、神宮前の事務所に引き返す(193頁)。事務所に森山塔彦から留守電。鎌倉の森山にかけなおす。訪問する約束をして、受話器を置いたのが午前10時過ぎ。宮前三郎に電話。
 正午に15分ほど余して(11時45分?)葛西、北鎌倉駅に到着。駅前通りからゆるやかな坂道を登って十分足らず、東慶寺の近くに森山邸はある。森山塔彦と、本田誠一、宮前三郎との会見。
 綸太郎が松沼ヒロトと待ち合わせたのは、新宿2丁目のバー〈ファンハウス〉。アイドル社会学の講義を拝聴する。〈アイドル・ヒストリー80's〉という年表をもらう(227頁)。…これを綸太郎事件年表に入れちゃ、やっぱりマズイかな。
 翌月曜日(26日)の朝。綸太郎の起床は10時前。寝過ごした、らしいのでいつもはもっと早起きらしい。エラリーは10時に起きて珍しがられているから、エラリーよりも綸太郎の方が早起き君のようです。これは余談。
 『週刊リード』の冨樫がやってくる。会うのは『頼子』の事件(去年の9月)以来半年ぶりだそうだ。『頼子』の事件についての記述。冨樫が綸太郎に五十嵐民雄の連絡先を教えたのは、西村悠史が自殺する当日の朝。それから6時間後に、悠ニは病室の窓から飛び降りた。井賀沼の事件は一昨年の11月。葛西隆が〈デルタ・ミュージック〉を追い出されたのは、4年前。

(2001.05.08)

 一時間後、綸太郎は法月警視の執務室に。久能警部も登場。綸太郎はラジオ東京旧館の設計図相手に睨めっこ。
 葛西サイドは午前11時(あ、時間が合いました)。新宿六丁目、日本テレビ直営のゴルフ場のそばの路上。〈ガーデンハイム宮田〉の前。小牧百合子(飯島美森)と対面。12時半ごろ、〈原宿オフィスハイツ〉の事務所に戻ると、5階の同じフロアの翻訳事務所の女の子から、2時間ほど前に警察が来ていたと連絡。刑事を避けて葛西は事務所を後にする。
 法月警視が刑事部屋に行き、戻ってきたのは13時過ぎ。約20分後、四谷署に匿名の電話がかかる(笑)。そこまでするかな普通。匿名の人綸太郎は続けて森山塔彦に電話。五分してかけなおし、一時間半後に森山邸に行く約束をとりつける(285頁)。森山邸到着は午後3時半近く。会見の後、綸太郎が自宅に帰ったのは18時15分。FAX(明日発売の『キャッチ』)と、美和子の自殺未遂。後は綸太郎が時間の感覚を無くしたまま翌朝に。

(2001.05.10)

 朝(27日・火曜日)になり、綸太郎と警視は車で中央医科大に行く。中山稔と、美和子との対面。笹原医師との対話。中山雅之と廊下で会う。雅之の妻志津子が亡くなったのは、美和子が高校二年の時。雅之は美和子の母の事件があって、美和子を引き取ってから神奈川県警捜査一課を退職している。
 30分後、二人は倒れた葛西を見舞いに青山病院へ。冨樫は二時間ほど前に出かけたまま、連絡がない。二人は警視庁に戻る(351頁)。
 第二部に入り、いよいよ容子との再会です(笑)。ラジオ東京旧館、2階と3階にまたがる第七スタジオにて。時間の記述はないですが、倉庫の現場検証のために来ていて、いたたまれなくなって逃げ出したらしい。でもって容子ちゃん登場です。はぁ、ええなぁ、ここ好きです。
 そのあと法月警視がやってきて、冨樫からの連絡を伝える。四谷見附の〈紫苑〉という店。先々週の月曜日(2月12日)『女性気分』の編集部に届いた手紙。『キャッチ』の今週号(今日発売)にのる中傷記事。宮前三郎と湯浅景子の姿を発見。湯浅景子に話を聞く(5分後、JR駅ビルの喫茶店)。そのまま景子を四谷署まで送り、四谷三丁目駅の方に向かって歩く。冨樫は新宿へ出るというのでここで分かれ、綸太郎は青山一丁目まで出て、半蔵門線の東急乗り入れ電車から大井町線に乗り継いで自宅へ。ここで午後9時前(389頁)。

(2001.05.12)

 夜のドライブに出かけた綸太郎。市ヶ尾の交差点で246号を離れ、横浜上麻生線を北上。渋滞のせいで、柿生の町についたのは午後11時過ぎ。〈コーポ・キタザワ〉中山稔の住居だ。それから一時間強待ち、稔が帰ってきたのは0時40分。よく考えたらこの間、一人で車の中で待ってたんだよね…あやしい奴。でもそのあと会見をすませ、綸太郎が戻ってくるまで寝ないで待っていたお父さんも…。
 翌朝28日朝刊を見てから綸太郎親子は四谷署を急襲。30分後に、二人は美和子のセーターを持って警視庁科学捜査研究所へ。警視の執務室に戻ると、中山雅之が訪問してくる。 なんやかんややっていると、冨樫から電話。葛西死亡の知らせだ。綸太郎は青山病院に駆けつける。
 その翌々日は葛西の葬儀。3月2日金曜日。綸太郎は森山の話を聞く。中山道代と会ったのは、1972年9月、江ノ島。四谷署はデルタの二人(本田誠一・宮前三郎)に任意出頭を命じる。土曜の夜、須賀公園に森山夫人が現れたという証言。
 翌3日土曜日、約束の午前10時きっかり、法月警視と綸太郎は鎌倉の森山邸を訪れる。森山夫人の話。その日の夜遅く、宮前三郎の自供。
 4日日曜日の朝、中央医科大、美和子の病室へ。17年前の事件の話。
 5日月曜日、脅迫状の差出人との対面。その後、綸太郎は書斎に戻って西村頼子の事件を小説にまとめる作業に再び、一からとりかかる。これは特筆しておきましょう(苦笑)。
 『トゥ・オブ・アス』の撮影も始まり、綸太郎が撮影現場の見学に訪れたのは8月に入ってすぐ。8月21日、綸太郎は美和子を〈長沢霊園〉に連れて行く。正午前に着く。西村頼子の墓参りだ。森村妙子との再会。

 はぁ、終わりました。だらだら長すぎますね。明日、まとめて短く年表にします。

(2001.05.15)

1965年       中山利則、道代入籍。
1976年       森山塔彦『KWAIDAN−怪談−』で本格的に劇場デビュー。
1971年10月    中山美和子、実若生まれる。
1972年 8月28日  中山利則、実若死亡。
1972年 9月     森山塔彦、道代と江ノ島で出会う。
1972年11月 7日  中山道代水死体で見つかると報道。
1986年       葛西、〈デルタ・ミュージック〉を追い出される。
1988年       畠中有里奈デビュー。
1988年晩秋    井賀沼「月蝕荘」の事件(『雪密室』)。
1989年 9月    綸太郎、半年がかりの長編を力ずくで仕上げる。
1989年晩秋    綸太郎、テレビ用の脚本の仕事のために関西へ出張。
1989年11月    湯浅景子、〈マーキュリー企画〉入社。
1990年 2月12日 『女性気分』に手紙が届く。
1990年 2月24日 松沼ヒロト、〈サタデイ・ナイト・キッズ〉ゲストに畠中有里奈出演。事件が起こる。
1990年 2月25日 綸太郎、ラジオ東京を取材。
1990年 2月26日 美和子、自殺未遂。
1990年 2月27日 『キャッチ』発売。ラジオ東京にて、綸太郎、容子と再会。
1990年 2月28日 葛西亡くなる。
1990年 3月 2日 葛西の葬儀。
1990年 3月 4日 綸太郎と法月警視、美和子の病室に行く。17年前の事件の話。
1990年 3月 5日 綸太郎、脅迫状の差出人と会う。西村頼子の事件を小説にまとめる作業に、一からとりかかる。
1990年 4月22日 有里奈のシングル〈瞳はスターレス〉発売日(?)
1990年 8月    綸太郎、映画『トゥ・オブ・アス』撮影現場見学。
1990年 8月21日 綸太郎、美和子と〈長沢霊園〉に行く。

曜日は省きました。他の作品のネタバレになりそうなところもあえて書きませんでした。もう遅いか?
次はやっぱり、井賀沼の事件でしょうか。頑張ります。でももう少し、手、抜こう…。

(2001.05.16)

エヌ氏調査報告書蛇足の王様メニュー年表日記