エヌ氏調査報告書蛇足の王様メニュー年表日記

3 『頼子のために』

 そんな訳で浮上記念、第三弾は予定通り『頼子』で行きます。
 これは、どうしたもんだろう。手記で表記されている流れを、とりあえずはまとめた方がいいのでしょうか。
 でもこれって嘘だしなぁ。うう分からないので流れのままにいきます(つまるところ、いつも通りって寸法)。

【第一部 西村悠史の手記】

 1989年8月22日の記述で物語は始まります。頼子が死んだのは、前日の8月21日。17歳になったばかりだそう。「あの事故」(10頁)が起きたのは14年前。当時海絵のお腹の中にいた長男は八ヶ月。
 悠史が電話で起こされたのは8時過ぎ。死体発見は、朝7時ごろ、斉明女学院近くの公園(14頁)。死亡時刻は昨夜の12時以前。昨日頼子は18時ごろ友達の家へ行くと行って外出したあと不明(西村氏の記述。以下省略)。
 手続のため自宅に帰ったのは、随分遅い時間。飼い猫のブライアンに関する記述。

 8月23日。森村、矢島邦子来る。午後、研究室の高田より電話。夕方、中原刑事が来る。死亡推定時刻は21日21時から23時まで。5ヶ月ほど前、同じ公園で県立高校の女生徒が乱暴された上殺害される事件があった。その後にもあったそう(18頁)。

 8月24日木曜日。頼子は妊娠4ヶ月。部屋の机の抽斗(ひきだし)から、産婦人科の診察券。初診日は18日。昨日からブライアンの姿を見ない。

時間、かかりそうだこりゃ…(2001.06.17)

 8月25日。産婦人科訪問。11時半前後。頼子が来院したのは、8月18日午後。4ヶ月の初期。5月10日前後。公衆電話から警察に電話。午後遅くなってから、頼子の遺体が自宅に帰ってくる。
 26日。頼子の葬儀。計画を練る。ここで悠史の5月9日から14日までの足取りがわかる。
 →→5月9日:自宅で高田と学会資料の検討。10日:教授会。12〜14日:学会出席(静岡)。
 27日。 朝、今井望と河野理恵に電話。午後3時に学校のそばの甘味処。柊の住所を調べる。
 28日。 8時半に外出。柊の住むメゾン緑北へ。斉明女学院へ行き、陸上部の練習。終了は12時。校門から出たのは15時過ぎ。喫茶店に行き、書店とスーパーに立ち寄り、メゾン緑北に戻ったのは17時半ごろ。西村は不動産屋を三軒ほどまわり、帰宅して村上医師に電話をし、明日会う約束をとりつける。中原刑事から電話。(ここまで50頁)。

ちょっと指が具合悪いので今日はここまで(2001.06.18)

 8月29日。車で外出。柊のアパートに寄り、村上産婦人科へ。診断書を受け取る。緑山の大学へ。十日ぶりに研究室に顔を出す。三時間くらいかけ片付け。次に斉明女学院。柊が校門から出たのは14時くらい。喫茶店に入るのを確認したのち、学校へ入る。喫茶店に戻り、それから30分くらいのちに柊が店を出る。メゾン緑北まで尾行。閉店まぎわの東急百貨店に寄る。
 8月30日。午後、邦子来る。アップルパイを5人分。海絵と森村と、4人で食べる。〈フェイル・セイフ〉作戦。
 8月31日。柊と電話で話す。午後8時、メゾン緑北の柊の部屋で会う約束。殺害後一時間ほどで、続きの日記。手記が終わる。第一部終わり。

(2001.06.20)

【第二部 余波】

 現実に戻ります。
 8月31日。森村妙子。西村教授は20時前にこっそりと外出した模様。20時25分頃、ガレージに車を入れる音。西村教授と森村が顔を合わせる。それから森村は西村家を退去して、今は21時32分。心配しているうちに40分になる。西村家に電話をかける。そのあと雪絵の病室へ電話。切ってから、彼女のマンションからスクーターを飛ばして7分、西村家到着は22時4分前。頼子の部屋で、机に突っ伏している西村氏を発見。
 9月1日早朝。西村氏は九死に一生を得、西村氏の手記により、緑北署の刑事たちはメゾン緑北で柊の死体を発見する。西村氏の手記は押収、コピーされて事件の関係者に配布される。それが回りまわって、警視庁の法月貞雄警視のもとにある指令が来たのが「その日の午後」(76頁)。ってことはやっぱり9月1日なのでしょうね。
 しかし斉明女学院の理事長水沢エリ子の実兄、衆議院に籍を置く某氏のブレーンって一体。どこをどうひねったらそのような奇策が出るのでしょうか。教えて欲しいです。

【第三部 再調査 I 】

 冒頭は警視が綸太郎に事件の再調査を依頼するくだり。時間がいつか、書いていないんですが、「その日の午後」よりあとなので「その日」の夜だと思います。綸太郎は小説を執筆中ですが、「夕べ俺がのぞいた時からちっとも進んでいない」(80頁)と親父さんが言っているように、相変わらずはかどっていないようです。いや、この辺はまだマシな方だったのかも、今思うと…。
 手記を渡された綸太郎は結局徹夜でそれを読むハメになり、事件の再調査をすることに。
 ここで「その日」は推定9月1日な訳ですが、違うかもしれませんし、便宜的に西村氏自殺未遂の翌日(「その日」)を「1日目」としましょう。
 徹夜明け(寝たのかしら?)の「2日目」(これも推定だけど、四の五の言いだすときりがない)。緑北署に行く綸太郎。中原と対面。メゾン緑北と頼子の死体が発見された公園とは、歩いて十分かかる距離。
 その後、『週刊リード』の冨樫と会う。(97頁)

(2001.06.21)

 綸太郎は冨樫の車に便乗して、国道を荏田方面へ。新石川入口と標示のある地点で国道を離れ、北上して東名高速の下をくぐり、小学校の敷地の横を走り抜ける。15時に斉明女学院の理事長と会う約束。衆議院議員の選挙は半年先。車はやがて大坪総合病院へ。時間は11時。西村教授の病室へ。高田満宏、矢島邦子と会う。高田と、明日の17時に会う約束をする。医師と会い、西村家へ電話。20分ほどでうかがうと綸太郎は言う。
 西村家は市街地の北部、閑静な山の手の住宅街の一角。森村妙子と初対面。森村は二十代後半。森村が西村家に来たのは3年と2ヶ月前。西村海絵と対面。14年前の事故の話。5月の夕方。海絵は二番目の子供を身ごもっていた。
 綸太郎は森村と頼子の部屋へ。8月21日夕方、森村は17時半頃西村家を退去。頼子が出かけたのは、その後と推定される。西村氏の手記について、22日の夜にブライアンは既に姿を消していたのではないかという証言。その日、教授は朝から警察に呼び出され一日中家を空けていた。森村は彼から事情を知らされ、その間ずっと雪絵に付いていた。途中ブライアンの姿を探したが、見つからなかったという。 森村は20歳そこそこで結婚、4年目で別れる。子供はいない。
 西村家の玄関を出たところで冨樫と再会。冨樫の車は亜麻色のスプリンター。

(2001.06.23)

 また冨樫とドライブ(笑)。起伏のある丘陵を縫うように広い道路を南に下る。元石川の交差点で左折、フィールド・アーチェリークラブを横目に見ながらまた左に曲がる。まっすぐ進めば田園都市線にぶつかる通りをすぐに右折、急勾配の坂を上がると、賃貸マンションが建ち並ぶあざみ台の住宅街。はっきりいって年表には関係ない(苦笑)。けど何かの役に立つかもしれないしとりあえずメモっておきます。
 メゾン緑北は斉明女学院の敷地を見下ろす高台の中腹に位置する独居者向けのアパート。管理人に話をするもすげなく断られる。Uターンして坂を下り、駅に続く通りをいま来た方に横切った。人家のまばらな一角をコンクリートで打った用水路に沿って少し走ると、緑に囲まれた公園に突き当たる。歩いても十分の距離。五角形の敷地。斉明女学院は5分ほど歩いたところ。時間は14時半。不審な少年とすれ違う。
 通り魔事件について冨樫の話。最初の事件は3月末、県立高校に通う16歳の女子。21時過ぎに友人の家を歩いて出た。この公園についたのは遅くても15分後。翌朝ジョギングをしていた主婦が死体を発見。死因は扼殺。
 次の事件は6月中旬。女子中学生が襲われかけたが、未遂で難を逃れる。時刻は21時半頃。そして頼子の事件が8月21日。
 時間はもうすぐ15時。斉明女学院へ。理事長と対面。2−B担任の永井先生と、クラスメートの今井望と河野理恵。松田卓也の話が出る。冨樫は用済みされる。ハセガワサエコ。
 学校を出て、通りに面した喫茶店『シエスタ』に入る。16時ごろ。16時半過ぎ、河野理恵が姿を見せる。駅前の『アポストロフィ』に移動。松田卓也と頼子の話。小学校の同級生。去年のゴールデンウィークにあった小学校のクラス会のときに再会。去年の秋頃から会わなくなったようだ。
 今井望の話。二つ上の姉がいて、姉が入学する前の年、柊先生が教師になってまもない頃に、教え子に手を出したという噂で、父兄の間で問題になった。(181頁)

(2001.06.24)

 『アポストロフィ』を出た三人は松田卓也の家へ。ゆるやかな丘陵の斜面を切り開いた集合住宅地区。公団アパートの中心部、八階建ての細長い建物C−203号室。松田卓也は不在。
 二人と別れ、綸太郎は駅まで歩き、一駅分の切符を買って上りのホームへ。次の鷺沼駅で電車を降り、駅前通りをまっすぐ東に進み交差点の派出所で村上産婦人科の場所を尋ねる。そこから徒歩5分ばかり。診療時間は過ぎていたが、15分あまり経って村上医師と会う。8月25日の記述は確からしい。
 家に戻ると貞雄さんはテレビにビール。晩餐の後綸太郎は部屋で『クローサー』のテープを聴く。1980年5月18日、マンチェスターでイアン・カーティスは首を吊って自殺。

(2001.06.25)

【第四部 再調査II 】

 「三日目」は日曜日。綸太郎は寝過ごして、親父さんにたたき起こされる。日曜日となっているので、遡って「その日(一日目)」が9月1日であることがほぼ確定。
 車のリース会社からということだったが現れたのは冨樫君。向かいの喫茶『セント・アルフォンゾ』で待ち合わせ。真っ赤なアルファロメオ・スパイダーを渡される。長谷川冴子の話。
 綸太郎は車で長谷川の元へ向かう。JR高円寺駅と丸ノ内線新高円寺駅の中ほどにある瀟洒なつくりの7階建てマンション「サンコーポ高円寺」302号室。向かいのビルの一階の喫茶『ブラック・ページ』で待ち合わせ。20分ばかり待ち、冴子が現れる。
 冴子と柊の話。知り合ったのは大学時代、冴子が一年後輩。一年の秋頃から付き合い始める。柊は教員の資格を取るとすぐ斉明女学院に職を得る。婚約は冴子が4年生のときの6月。冴子はその年に旅行代理店に就職を決め、翌4月から勤め始める。柊が教え子に手を出した事件は、冴子が勤めはじめて二年目。柊は教員三年目。その後別れ話。一年後に、電話がかかってくる。

(2001.06.27)

 午後。環七を南下、井の頭通りを原宿へ。「レプリカント」を探し、松田卓也に会う。昨年10月の日曜に、渋谷で頼子とイガラシという中年の男が歩いているのを目撃。
 高田青年との待ち合わせに余裕があるので、246号線を西に向かって、西村家に寄る。 ついたのは15時前。庭に猫の死骸。
 17時に高輪のホテルで高田青年と待ち合わせ。ホテルについたのは5分前。会おうとするといきなり拉致される。よく考えたら拉致される綸太郎って……(苦笑)。古川橋から明治通りに車を入れ、新宿を通り過ぎ、池袋方面へ。今回車の記述、多いな…。サンシャイン通りに面したビル、会員制のフィットネス・クラブ。高橋、油谷と対面。
 高橋の「かびの生えた昔話」。高橋と矢島、西村、海絵は高校が一緒。生徒会。同じ学年だが、高橋のみ大学に落ち、一浪。高橋が大学を出て社会人になった年の夏、矢島にプロポーズ。しかし振られる。高橋は5年待つと言う。そのころ西村と海絵は家どおし婚約の了解が出来ていた。その後、西村にロンドン留学の話が出て、二年間イギリスに行った後に帰国、籍をいれる。それが28、9のとき。高橋は32歳のときに見合い話を持ちかけられ、再度矢島にアタック。またもや振られ、その年の秋には見合い相手と結婚。その間に海絵の事故が起こる。それから14年が過ぎて現在に至る。
 その後は綸太郎のあやとりなんかがあって、ホテルに戻ったのは19時半。律儀に待っている高田青年。いい人すぎるぞ。(260頁)

(2001.06.29)

 高田君と場所移動。三田の『キング・コング』という店。西村氏の手記の誤りについて。26日の後半の「一昨々日」という記述は27日に書かれたものでは。森村の証言より推測すると、ブライアンが殺されたのは21日の夜。22日の餌をやる記述はウソ? 29日の柊氏の車接触もウソか?
 家に帰ったのは23時過ぎ。高橋からの留守電。イガラシタミオ。

【第五部 真相】

 去年の10月、頼子はイガラシと会っていた。『週刊リード』編集部に電話。「あなたがいてよかった」と冨樫とおしゃべり。んん、この関係、結構好きです(爆)。事故があったのは14年前の5月。ガイシュツかもしれないが最早覚えていないので書いておきます。電話のあと50時間ぶりにワープロに向かい(この辺もよく考えると時代を感じる…)斉明女学院の理事長に出す報告書をしたためる。

(2001.07.03)

 4日目、月曜日。9時27分に冨樫から電話。五十嵐民雄は現在は長野県上田市。事故当時は川崎市内の事務機器メーカーの営業所勤務で厄年。現在は55、6歳。綸太郎は五十嵐に電話をかける。昨年の9月はじめに頼子から手紙が届く。2、3日後に二通目。返信を送ると、すぐに三番目の手紙が着く。その後10月の第二日曜日に渋谷109の階段のところで待ち合わせ。14年前の事故の様子。5月の晴れた日の夕方。17時過ぎ。
 電話を終え、246号線をとばして、斉明女学院へ。門番に報告書と車のキーを預け、タクシーを拾い大坪総合病院へ。病院到着は11時半近く。県警の取り調べは15時からの予定。
 邦子との話。ロンドン留学までは高橋の話の通り。西村氏の帰国後半年ほどでゴールイン。挙式の前後から西村氏の仕事が学会でも高く評価され、今の大学に招かれて講座を持つに至る。一年後に頼子誕生、それから二年半経ち、二人目を身ごもる。
 15時、綸太郎は西村氏の病室の前で、佐伯という刑事に20分だけ西村氏と話をしたいと頼む。
 頼子が西村氏に仕掛けた罠の日は、5月10日。頼子に診断書をつきつけられたのは8月21日夜。
 全然関係ないけど、324頁後ろから7行目、「まだ九月の初めというのに」より日付は間違いなし。
 妙子が西村氏に関係を求めたのは今年の春、3月(330頁)。
 まとめは、明日以降に。

(2001.07.04)

 まとめ、ですが、まず“嘘でもいいから”西村手記をまとめます。

1975年 「あの事故」が起こる。
1989年 3月ごろ 斉明女学院の近くの公園で県立高校の女生徒が乱暴された上殺害。
1989年 5月 9日 西村氏、自宅で高田と学会資料の検討。
1989年 5月10日 西村氏、教授会。
1989年 5月12日〜14日 西村氏、学会出席(静岡)。
1989年 8月18日午後 頼子、産婦人科初診。4ヶ月。
1989年 8月21日 頼子殺害される。17歳になったばかり。
1989年 8月22日 頼子の死体発見される。飼い猫のブライアンに餌。
1989年 8月23日 森村、矢島邦子来る。高田より電話。夕方、中原刑事が来る。ブライアン行方不明。
1989年 8月24日 頼子の部屋の机の引出しより、産婦人科の診察券。
1989年 8月25日 西村氏、産婦人科訪問。午後遅く、頼子の遺体が自宅へ戻ってくる。
1989年 8月26日 頼子の葬儀。
1989年 8月27日 西村氏、今井望と河野理恵に会う。
1989年 8月28日 西村氏、柊の後をつける。メゾン緑北→斉明女学院→メゾン緑北。中原刑事から電話。
1989年 8月29日 西村氏、村上産婦人科へ。診断書を受け取る。緑山の大学へ。また柊の尾行。
1989年 8月30日 午後、邦子来る。海絵と森村と、4人でアップルパイ。〈フェイル・セイフ〉作戦。
1989年 8月31日 午後8時、柊とメゾン緑北の部屋で会う約束。柊を殺害後、自殺未遂。

…つづく。(2001.07.05)

 昨日まとめたのが手記の記述に基づいたもので、以下が本当(?)の流れです。

1961年ごろ 西村悠史、雪絵、矢島邦子、大学進学。高橋は浪人になる。
1966〜1967年(推定) 高橋、大学を出て、広告代理店に。矢島にプロポーズするも、振られる。
1971〜1972年(推定) 西村悠史イギリスから帰国、海絵と入籍。
1975年(推定) 高橋、見合い話を持ちかけられる。矢島にアタックするも、振られる。
1975年 5月 17時過ぎ 西村海絵、事故に遭う。
1975年秋(推定) 高橋、見合い相手と結婚。
1980年 5月18日 マンチェスターでイアン・カーティスは首を吊って自殺。
1986年 7月 森村妙子、西村家で働き出す。
1988年 9月はじめ 五十嵐民雄のもとに、西村頼子からの手紙。
1988年10月 9日(第二日曜日) 松田卓也、渋谷で頼子と五十嵐民雄が歩いているのを目撃。
1989年 3月 斉明女学院近くの公園で通り魔事件。
1989年 6月中旬 斉明女学院近くの公園で第二の通り魔事件。
1989年 8月18日午後 村上産婦人科に西村頼子が訪れる。
1989年 8月21日 17時ごろ、森村妙子、西村家を退去。夜に頼子、殺害される。ブライアン殺害?
1989年 8月22日 西村悠史、朝から警察に呼び出される。
1989年 8月25日 西村悠史、村上産婦人科を訪問。
1989年 8月31日 22時頃、森村妙子が、頼子の部屋で机に突っ伏している西村氏を発見。
1989年 9月 1日 西村氏、九死に一生を得る。法月警視、綸太郎に事件の再調査依頼について語る。
1989年 9月 2日 綸太郎、再調査を決意。冨樫と会う。
1989年 9月 3日 綸太郎、長谷川冴子、松田卓也、高橋、高田青年と会う。
1989年 9月 4日 綸太郎、五十嵐民雄と電話。大坪総合病院へ行き、西村氏と面会。西村氏、自殺。

まだ不完全。手記との補完をして完成、だといいなぁ。(2001.07.09)

 上記記述分、文字消すの忘れてますね(苦笑)。手記のうち、客観的に意味のありそうなもの、嘘とは思えない記述をあわせてみました。それが以下の通り。

1961年ごろ 西村悠史、雪絵、矢島邦子、大学進学。高橋は浪人になる。
1966〜1967年(推定) 高橋、大学を出て、広告代理店に。矢島にプロポーズするも、振られる。
1971〜1972年(推定) 西村悠史イギリスから帰国、海絵と入籍。
1975年(推定) 高橋、見合い話を持ちかけられる。矢島にアタックするも、振られる。
1975年 5月 17時過ぎ 西村海絵、事故に遭う。
1975年秋(推定) 高橋、見合い相手と結婚。
1980年 5月18日 マンチェスターでイアン・カーティスは首を吊って自殺。
1986年 7月 森村妙子、西村家で働き出す。
1988年 9月はじめ 五十嵐民雄のもとに、西村頼子からの手紙。
1988年10月 9日(第二日曜日) 松田卓也、渋谷で頼子と五十嵐民雄が歩いているのを目撃。
1989年 3月 斉明女学院近くの公園で通り魔事件。
1989年 5月 9日 西村悠史、自宅で高田と学会資料の検討。
1989年 5月10日 西村悠史、教授会。
1989年 5月12日〜14日 西村悠史、学会出席(静岡)。
1989年 6月中旬 斉明女学院近くの公園で第二の通り魔事件。
1989年 8月18日午後 村上産婦人科に西村頼子が訪れる。
1989年 8月21日 17時ごろ、森村妙子、西村家を退去。夜に頼子、殺害される。ブライアン殺害?
1989年 8月22日 西村頼子の死体、発見される。西村悠史、朝から警察に呼び出される。
1989年 8月25日 西村悠史、村上産婦人科を訪問。
1989年 8月26日 頼子の葬儀。
1989年 8月31日 22時頃、森村妙子が、頼子の部屋で机に突っ伏している西村氏を発見。
1989年 9月 1日 西村悠史、九死に一生を得る。法月警視、綸太郎に事件の再調査依頼について語る。
1989年 9月 2日 綸太郎、再調査を決意。冨樫と会う。
1989年 9月 3日 綸太郎、長谷川冴子、松田卓也、高橋、高田青年と会う。
1989年 9月 4日 綸太郎、五十嵐民雄と電話。大坪総合病院へ行き、西村悠史と面会。西村悠史、自殺。

これで一応完成、にしておきます。(2001.07.14)

エヌ氏調査報告書蛇足の王様メニュー年表日記