第二段は、『雪密室』にしました。『ふたたび赤い悪夢』と関わり合いが強い、ということで。今のところの予定では、次は『頼子のために』です…。えと、目標は今月中。無理かな(苦笑)。
前回は『ふたたび〜』なのに『頼子〜』のネタバレもしてしまって、ちょっと心苦しかったので、反省してとりあえず『ふたたび〜』日記の冒頭に注意書きを書きました。以後は、なるべくは作品内のみのネタバレにとどめるよう、鋭意つとめます。でも必要に応じて文字色隠しで対応するかもしれません。
まずは、『ふたたび〜』で言及のあった部分についてのおさらい。
月蝕荘の事件は1988年晩秋。中山美和子は1971年10月生まれ(これは推定)。美和子個人の、家庭環境についてはこの事件では関係ないと思われるのでここでは書きません。あとで必要になったら参照するということで。
冒頭、「引き裂かれたエピローグ パート1」では、謎のサングラス男綸太郎が登場します。2月14日バレンタインデーが早苗の結婚式の日。それよりも何よりも、どうしてサングラスなんですか、綸太郎君?? これは永遠の謎ですぞ。
ところでこの2月、というのは当然事件が起こった後の1989年2月、とみて差し支えないだろう。結構間が空いているのね…。ま、これは一応保留にしておく。
第一部に入り、晩秋の井賀沼駅。法月警視が駅に着いたのは午後6時過ぎ。
余談だけど、この井賀沼という地名は実在するのか。今路線図などを眺めているけれど、どうも見つからない。住所にもないようだから、架空の地名かもしれない。手がかりは、東京から二百キロほど離れていること(文庫版16頁)。軽井沢や清里ではないこと。何か元があるのだろうか。誰か知ってたら教えて。
晩秋というか、初冬という季節はさて、何月を指すだろう? 11月くらいだろうか。ともかく、法月警視の元に一通の招待状が届いたのは、それから半月ほど前。
『月蝕荘』について。篠塚国夫の、妻の前の亭主(沢渡冬規)が井賀沼でペンション経営のようなことを始めたのが、4年前(18頁)。2年前の冬に以前あった建物を全部取り壊して、新築した。
沢渡冬規氏について。東京工学部出身、マサチューセッツ工科大を経て帰国後財閥系の某シンク・タンクの所長に就任したのが当時29歳のとき。翌年防衛庁に招かれる。しかしある日、すべてのポストから身を引き、引退生活へ。
峰裕子女子について。最初に井賀沼に来たのは、三年前の秋(1985年か)。
月蝕荘について荷ほどきをして、ロビーに出たのが午後7時すぎ。綸太郎に電話(笑)。小説を執筆中らしい綸太郎は、まだ誰も死なないと嘆いています。夕飯は宅配ピザだそうな。どうでもいいですね。でもまぁ、一応。
(2001.05.19)
今日のこの日は真棹と沢渡冬規の結婚記念日だとか。篠塚真棹到着は、20時13分。
法月警視の入浴シーン(笑/63頁)において、法月警視が着いたの(今日)は土曜日だと分かる。警視は一週間休みをとって、金曜日までの滞在の予定。沢渡恭平は明日日曜日の晩帰る予定。警視が部屋に戻ったのは22時半。テレビを23時まで見る。
警視に届いた三通の手紙。一通目は前述の招待状。二通目三通目は、その招待状の二週間前、一週間前にそれぞれ届いている。
法月警視が始めて真棹に会ったのは、十月の最後の日曜日(67頁/1988年10月30日)。場所は売り出し中の若い写真家の最初の個展の会場。警視は真棹の住所を聞いて、綸太郎のサイン本を一冊真棹のもとに送らせた。その翌日、真棹からお礼の電話が入る。それから何日か後、一通目の手紙が着く。
――ということは、早く見積もるとして、本を送るのに2、3日、電話が次の日、その数日後に一通目、数日をまぁ5日くらいとして真棹と対面してからざっと10日弱くらいで一通目のラヴェンダーの手紙が来た計算。10日弱と二週間後に招待状、その半月後に井賀沼に行く、だから……えっと……10日弱と一ヵ月後、ってことにしよう、そしたら井賀沼訪問は12月の話。12月の土曜日は3、10、17、24、31日。10か17が有力かな。
さて警視は喉が渇いてラウンジへ。篠塚と話して部屋に戻り、ベッドに入ったのは午前1時近く。
ここで警視と妻の礼子さんの話。6月に見合い、その年の10月に挙式。一年余りして綸太郎が生まれてしばらくして、礼子は突然精神のバランスをくずし、サナトリウムへ(73頁付近)。
現在に戻る。警視は気がつくと沢渡氏の部屋の前(苦笑)。ココアと耳栓をもらい、部屋に戻ったのは2時5分前。起こされたのは5時45分。篠塚真棹の死体を、発見する。
(2001.05.20)
ここから第二部。法月警視、綸太郎に電話。15時間ぶりだそうなので、午前10時くらいか。綸太郎は30分前まで徹夜で仕事をしていたそうな。「やっと最初の死体が出てきたところ」とあります(84頁)。ここで書いているのは、何の話なんでしょう? さて。
少し戻って、死体発見前後。警視が110番通報したのは5時57分。現場にあるデジタル時計は2時7分で止まっていた。死亡推定時刻は、2時を中心に、前後一時間くらいの幅。気象台によると、井賀沼一帯での雪は、降り始めが1時20分、2時にはやんでいた。まぁこの辺は書いたところで年表にはあまり関係はないかも(苦笑)。
3年前の秋、『月蝕荘』の客として泊まっていた峰裕子が薬を飲んで自殺未遂。
アリバイ話は、どうしましょう。一応書いとく。自己申告のまま。
篠塚。ラウンジでビールを飲むうち寝てしまう。そのまま朝まで。
武宮。自室で0時前就寝、6時に恭平にたたき起こされるまでベッドの中。
真藤。香織とともに23時には部屋に。
峰。片付けものをして、0時すぎに自分の部屋に上がり、3時ごろまで起きていた。
恭平。1時ごろ消灯。6時前に離れの電話の音で目がさめるまで、寝ていた。
沢渡冬規。2時5分前まで、自室で警視と話していた。
以上。で警視はまた綸太郎に電話。
…よく考えたら、日にち的な変化ってないのよね、この話。ああ、飽きてきたかも(オイ)。
(2001.05.21)
昼前に柴崎警部はいったん井賀沼署に戻る。法月警視は色々な人の話を聞く。時間的な記述があるところを探す。
峰裕子の身の上話。母は16歳の時に死亡。その時父は真棹と一緒に住んでいた。父が亡くなったのは24歳のとき。その後大学を休学して、何ヶ月か、あちこちをさまよう。井賀沼に来て、服毒自殺を図る。
ますますどうでもいいことですが、峰裕子、と書くたびミネフジコを思い出すのは、私だけ?
うだうだしていると綸太郎から電話。中山美和子の素性が知れる。神奈川県出身で、デビューは今年、ファースト・シングルが『ときめきハートLand』。
午後4時前に、柴崎警部が戻ってくる。
書きもれがありました。美和子の失踪。午前10時の綸太郎への電話の後で、某代議士との電話の後(101〜102頁)。
午後6時。美和子の捜索隊が結成。警視は武宮、沢渡冬規、田村という地元高校生のチーム。準備を整えて出かけようとしたのは18時半ごろ。
(2001.05.23)
昨日はもう少し行く予定が眠くてばててしまいました。明日から出かけるんでちょっと頑張らないと。
捜索隊。15分ほど歩いて、二手に分かれる。武宮と田村、と沢渡と警視。田村少年に呼ばれて二人が行くと、武宮がいなくなったと田村少年。警視は一人、来た道を逆に辿り後を追う。けれども廊下で――。
長い夢のなか。警視は「彼」と対面する。名前って、ちゃんと出てきたでしょうか? どうも呆けていて、確認できないので後の課題――八月の新聞の切り抜き(173頁)。8日午後6時松山文子の自殺の記事。「彼
」は礼子のまたいとこ。
夢から覚めると、とうとう綸太郎とのご対面です。よかったですね、警視。時間は翌日になっているが、昨夜峰裕子が19時半ごろリビングの前の廊下に倒れている警視を発見したとか。
ここで第二部終わり。短いけど、あとは早くて3日後に。
(2001.05.24)
…すみません、大分間が空いてしまいました。
第三部。三日目、月曜日に突入。午後、柴崎警部が現れ、102号室に現れ、ベッドの警視に報告を始める。
一昨年(1986年)9月、群馬県で少女殺し。武宮俊作の指紋が発見されていた。
美和子の行方。昨日の午後には井賀沼にはいなかった。兄に迎えに来てもらって、兄のところで一泊、現在は東京。
離れのリビングに法月親子、柴崎警部、篠塚国夫、沢渡冬規が集まる。ベッドを動かす。篠塚は気分が悪くなり、沢渡のつきそいで先に母屋へ戻る。そののち、三人も戻り、法月親子は沢渡冬規の部屋を訪ねる。部屋を出ると、102号室へ戻る。
その後みんなをラウンジに集める。ぶらぶらするぐりもおの話。
そういえば、こないだ読みかけてやめたカーの『三つの棺』にグリモーという人物が出てきます。関係あるのでしょうか。
午後6時に207号室。ぶらぶらの秘密が明かされる。真藤の犯した殺人。一昨年(1986年)の2月、藤沢市で38歳のギャラリー経営者が行方不明。秩父の山中。
でもって篠塚をかばう裕子。裕子の部屋を訪れる綸太郎。ここで綸太郎は、後の作品に登場する「右足をひきずる同級生の女の子」を好きになった思い出を語る。
102号室に戻る綸太郎。警視は柴崎警部とお話中。靴のサイズ、そして、読者への挑戦。
……んん、やっぱり日にちは限定できないのかな。
(2001.06.14)
一日おいた水曜日、ふたたびラウンジに事件の関係者が集まる。沢渡冬規、真藤親娘、峰裕子、篠塚国夫、柴崎警部、沢渡恭平、武宮俊作、中山美和子、そして法月親子。一悶着あって、篠塚国夫はBMWに乗り逃げる。『月蝕荘』から4キロの地点で、ガードレールを突き破る。
その日の午後、法月親子が月蝕荘に戻ってきた――ということだから、解決編は午前中の話か。篠塚の手紙。
同じ日だろうか、警視は「彼」に電話をする。翌朝(木曜日?)6時半に、綸太郎のランドローバーで荷物を載せて出発。
でエピローグに戻ります。「彼」は去年の8月8日未明、松山文子のアパート近くで目撃されているという証言。
まとめは、また明日に。
(2001.06.15)
まとめです。
1963年 6月 法月貞雄、礼子と見合い。
1963年 10月 法月貞雄、礼子と挙式。
1964年 10月15日 綸太郎生まれる(推定)。
1984年 沢渡冬規、井賀沼でペンション経営(のようなもの)を始める。
1985年 秋 峰裕子、井賀沼を訪れる。自殺未遂。
1986年 2月 藤沢市で38歳のギャラリー経営者が行方不明。秩父の山中(真藤亮)。
1986年 9月 群馬県で少女殺し(武宮俊作)。
1986年 冬 井賀沼のペンションを取り壊し、新築する。
1988年 8月8日 午後6時 松山文子の自殺が発見される。
1988年 10月30日(土) 法月警視、真棹に会う。写真家の個展。
1988年 11月中旬 警視、真棹から招待状を送られる。
1988年 晩秋(推定12月初旬)
1988年 晩秋 1日目(土)午後6時過ぎ 警視、井賀沼駅に到着。
1988年 晩秋 1日目(土)午後7時過ぎ 警視、綸太郎に電話。
1988年 晩秋 1日目(土)午後8時13分 篠塚真棹到着。
1988年 晩秋 1日目(土)午後10時半 警視、部屋に戻る。
1988年 晩秋 2日目(日)午前2時ごろ 警視、沢渡冬規の部屋へ。
1988年 晩秋 2日目(日)午前5時45分 警視、起こされる。篠塚真棹の死体を発見。
1988年 晩秋 2日目(日)午前5時57分 警視、110番通報。
1988年 晩秋 2日目(日)午前10時くらい 法月警視、綸太郎に二回目の電話。そのあと、「彼」と電話。
1988年 晩秋 2日目(日)お昼前後? 美和子失踪。
1988年 晩秋 2日目(日)午後6時 美和子の捜索隊が結成。
1988年 晩秋 2日目(日)午後6時半ごろ 捜索隊出発。
1988年 晩秋 2日目(日)午後7時ごろ(推定) 警視、廊下で気を失う。
1988年 晩秋 2日目(日)午後7時半ごろ 峰裕子、警視を発見。
1988年 晩秋 3日目(月)朝 警視、目覚める。綸太郎と対面。
1988年 晩秋 3日目(月)午後6時ごろ 207号室にて、ぶらぶらの秘密。
1988年 晩秋 5日目(水)午前中 ラウンジにて、謎解き。
1988年 晩秋 6日目(木)(推定) 法月親子、井賀沼を出る。
1989年(推定) 2月14日 早苗の結婚式。
……疲れた。その割に報われてないような。
(2001.06.16)